自由は本当に良いものなのか
自由とは誰でも欲しいものです。
嫌な会社に行くのではなくて1ヶ月くらい海外に行ってパーットしたい、通勤の電車から降りずにこのままどっかに行ってしまいたい。
そう思う人は多いはずです。
自由とは人間の本能です。
しかし、自由があまりにもありすぎると人間は自由を持て余してしまいます。
学生の頃は何か自由をもて余すことはなかったが、社会人になり休みが一週間くらいあると何をしたらいいのかわからないそんな状況があるでしょう。
普段から会社に通っているとそれが当たり前で、会社がないという生活にシフトするのはなかなか難しくなっていきます。
会社が生活を支えてくれているから会社がなくなってしまうと、何をしたらいいのかわからない、これからどうしていけばいいのか?という状況になります。
だから一つのものに依存するのは危ないです。
いろんなことをやっていて、いろんな依存先があってそれで自由と言えるでしょう。
自由とは何か一つを信じることでは成し遂げられないものなのかもしれません。
小説「罪と罰」の著者であるドストイエフスキーは「人間という哀れな動物は、もって生まれた自由の賜物を、できるだけ早く、ゆずり渡せる相手をみつけたいという、強い願いだけしかもっていない」と言っています。
この意味をなんとなくわかる人と、何言ってんだ自由があればなんでもできるじゃないかと思う人に分かれると思います。
ナチズムはなぜ起きたのか?
ドイツのヒトラーという人物の名前を聞いたことがある人は多いでしょう。
そのヒトラーが独裁政治でドイツを率いてたくさんの人を殺しました。
これからも絶対起こしてはいけないことです。
なぜこんな痛ましい事件を起こすほどに国民はコントロールされてしまったのでしょうか?
まず、ナチが台頭して来た時代のドイツは戦争に負け、経済的にも行き詰まり、君主制も崩壊したという最悪の時代でした。
国民が今まで信じて来たものなどが一気に崩れおちます。
これから何を信じて生きていけばいいのかという状況になりました。
この状況こそが自由の重さという考えに繋がります。
誰か、何かを信じていたがそれがなくなった、だから次の何かを探そうという考えになるのです。
自分で自分をコントロールすることが難しいのが人間なのです。
何かを信じていたいのが人間です。
そんな状況にヒトラーが出て来て国民がコントロールしていったのです。
普通の人があんなひどいことをするまでにコントロールされてしまいます。
何か一つに依存するというのはとても危険なことです。
誰かあの人の言うことしか聞かないとか、何か一つの情報に頼るだけだだと危険と言えるでしょう。
雑誌だって、広告だってあなたはこんな生活をしてみませんか?という一種のコントロールです。
自分が欲しいと思ったものなのか、企業から広告されて欲しくなったものか分からなくなってしまうのが現代です。
街には欲望をコントロールするものが溢れすぎています。
こんな時代だからこそ自分は何ががしたいのか、何が欲しいのか、など人生に対する問いを持つことがかなり重要な時代はないのかもしれません。
生きがいとは?
フロムにとって人生の意味とは、生きる行為そのものであることをみとめることだと言います。
フロムは資本主義社会にどっぷりと浸かった社会では人格の努力や結果が、金や特権や権力のために売ることのできる商品と考えられてしまう、こうして、重点は創造的行爲の現存の満足ではなく、完成された生産品の価値に置かれると言っています。
結局、現代人は生きる行為全てがお金に変換できることが苦しめているのかもしれません。
勉強することで将来安定した職につける、プログラミングができればお金を稼げるかも、バイトを頑張ればお金が手に入る、などなど生きる行為そのものが損得で考えてしまいます。
しかし、行為には目を向けられず楽しむ事もなく、結果だけ、作った商品だけを資本主義社会ではみんなが判断します。
そこには自分の意思関係なく周りから値段をつけられ、嫌なことも言われ、商品となります。
結果も大切ですが、作る行為そのものを楽しむとても大事なことなのです。
やはり自分が好きなことをしているのが一番の生きていることです。
作る、やっていて楽しいことこそが自分が極める道、生きがいにつながるのでしょう。
新しい自由とは。
自由といっても内容は変わってきています。
中世の人々に自由という考えもなく職業は生まれた時点で決められており、孤独や不安なども感じることはありませんでした。
それはなぜか。
生まれた時点で職業が決められており、自分の職業と生まれた階級というコミュニティの中で生活すればよかったからです。
しかし、個人的な自由は存在しませんでした。
そこから人々は時代が変わっていく中で自由になっていきました。
だけども、自由に職業が決めれるようになり生活がしやすくもなりましたが、孤独や不安なども感じるようになっていきます。
資本の力でのし上がることができ、格差というものが見えるようになり、人々は努力して仕事を資本主義社会に評価してもらえるようにしなければなりません。
そこには仲間という概念ではなく、皆一人だとの考えが出てきます。
フロムはこういっています、「新しい自由は必然的に、動揺、無力、孤独、不安の感情を生みだす。もし個人がうまく活動しようと思えば、このような感情をやわらげなければならないのである。」
近代はこのように孤独や、孤立、不安などを感じさせる要因がたくさんあるのです。
皆が抱えている思いを和らげるコミニティや生き方をこれから誰もが考えていく必要があるのではないでしょうか。
資本主義にどっぷりと浸かった生き方からのシフトが大切になっていきます。
ましてや日本は給料も安く、拘束時間も長い仕事が多いでしょう。
そこで生まれているのは自分の時間、家族と過ごす時間、など多くのものを失いながら疲弊した時間を過ごしています。
時間も失い、金も失い、じゃあ何が手元に残っているのでしょうか?
みんなが時間を大切に、何をして生きるのか、何を成し遂げたいのかなどを考えることがこれから大切になる時代です。