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映画と本の感想をつづる。

映画と本の感想をつらつら書き留めていきます。

睡眠を買えることが、幸福へのスタート

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人生の3分の1を占めていることはなんだろうか。

それは睡眠である。

睡眠は普段の生活と表裏一体の関係である。

睡眠の質が悪ければ、生活がおろそかになり、

生活がおろそかになれば、睡眠の質が悪くなる。

 

生活が多様化され、眠らない時代にいる現代人はきちんと睡眠は考えなければならない。

 

 

 

睡眠の質は最初の90分で決まる。

 

時間も大切だが、質がとても重要なのだ。

人間が寝ている時にはノンレム睡眠とレム睡眠を繰り返しているということは聞いたことがあるだろう、

 

どれだけ時間を寝ようとも、最初の90分が崩れてしまうとリズムが全て崩れてしまう。

いいリズムで寝るには最初の90分ですべてが決まるのだ、

だから、睡眠の最初の90分を制するものが、睡眠を制すると言える。

 

 

グロースホルモンは最初の90分に、80%近くは確保できる。

 

このホルモンは体の成長などに影響を与える。

寝ないと育たないと言われるが、このホルモンは最初の90分にほとんど分泌される。

 

 

 

 

最高の90分の睡眠をするにはどうすればいいのか。

 

一番のいい方法は規則正しく、就寝時間を決めることだが、

しかし、現代の人間には難しい。

 

忙しい現代人はぐっすり眠れる2つのスイッチを意識すればいい。

それは「体温」と「」だ。

 

質のいい睡眠は体温が下がる。

眠りに入る前には手足から熱放散が起こり、続いて深部体温の変化が起こる。

この状態を作ることが大切だ。

現代の人間はスマホや仕事などによって脳を興奮状態にしてしまう要素がたくさんある。

脳が興奮していると体温も下がりにくいのだ。

「脳」のスイッチを切るということを意識しないと最高の睡眠はとれない。

 

90分前のお風呂。

 

深部体温は上がった分だけ、大きく下がるお風呂に入るだけで、体温は0,5度は上がる。そのあと90分経つことで、深部の体温が下がり良い睡眠に入れる。

 

靴下をはいて寝てしまいうと熱を発散することができなくなってしまうので、靴下は脱いで寝るのがいい。

 

快適な室温を保つ。

暑すぎても、寒すぎてもだめ、適度な温度が大切。

 

睡眠と覚醒状態は表裏一体の関係である。

覚醒状態とは目を覚ましている時の状態のことである。

 

睡眠と覚醒はセットになっている。

朝起きてから眠るまでの行動習慣が最高の睡眠を作り出し、

最高の睡眠が最高のパフォーマンスを作り出すのだ。

これが、覚醒と睡眠の「好循環」である。

いい循環を意識することが大切なのだ。

 

覚醒のスイッチを入れるには

 

太陽の光を浴びる。

これで体は起きる。人間の体は光を浴びることで覚醒のスイッチが入れられる。

 

体温を上げる。

少しだけ上げることが必要。少しのジョギングなど。過度な運動は大きく体温を上げてしまい、眠りを促してしまう。

 

昼寝は時間は多すぎるといけない。たくさん寝てしまうと脳が覚醒状態なのに寝すぎるとおかしなことになってしまい、生活のリズムがおかしくなる。

20分くらいが目安だ。

 

睡眠は眠っている以外の人生においても「ギフト」なのだ

 

人生の3分の1が睡眠に費やされる。

だからしっかりとした質の睡眠を考えることは必要だろう。

日本人は世界的に見ても、睡眠時間が少なく、その中でストレスの溜まる長い仕事をしなければならない。それでは幸せな未来がこの国に訪れることはないと思う。

日本に遊びに来るのはいいが、住むのは地獄と誰かが言ったが。

睡眠という人間の基礎的な所から意識して変えていくことが、幸福のスタートなのかもしません。

 

 

引用

 

スタンフォード式 最高の睡眠

スタンフォード式 最高の睡眠

 

 

 

 

 

社会に出る前に知っておきたい日本社会の仕組み①

 

 

 

 

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これから社会に出ていく人に知ってもらいたい。

日本の社会の仕組み。

どうせこれから日本という荒波に流されるのだから、その波はどんなものなのか知っておく必要がある。

日本社会で勝ち上がりたいなら能力だけでは無理だ。人間関係、能力、運。このすべてがなければ勝ち上がることは難しい。

 

タテ社会の人間関係」を参考に考えていきたい。

これは社会に出る人には必須の教科書である。

 

 

 

 

国の社会構造その中でも個人と集団などの関係は時代が変わっても最も変わりにくい部分である。

目に見える、服や、食べ物など変わることはあるが、目に見えない人間の中身は変わることは難しい。

だからこの先日本の個人や集団の関係性もこれからもあまり変化はみられない。

目に見えない人間関係をこれから見ていく。

この目に見えないというのがやっかいなものだ、見えないから惑わされる。

だがこういうものがあるんだとわかっているだけで少しは余裕が生まれる。

 

「資格」と「場」による構成

国の集団の構成は「資格」と「場」に分けられる

 

「資格」

共通性。個人を他から区別する属性(氏、学歴、地位、職業、男、女、など)を使うことで集団が構成される場合。

 

「場」

共有性。地域や所属している場所のように、資格の違いをとわずに、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合。

 

国の中にはこの2つは存在しているが、社会の中で資格と場がどちらが強いのか、どんな状況で資格と場のどちらを優先するのかを見る。

 

場を強調する日本社会

日本はもちろん「場」による集団の構成が多く存在している。

 

はっきりいえることは、場、すなわち会社とか大学とかいう枠が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっていることであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくるということである。

 

なぜ日本は「場」がが支配しているのだろうろうか。

それは日本人が属している場所がすべてだという考えが大きいからだ。

 

「会社」は個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私のまたわれわれ会社であって主体化して認識されている

 

自分が属している場所がすべてであってそこがあってこその人生ということだ。

働く場所が人生の劇場であり、その劇場から外されてしまったらもう人生もないということになる。

だから就活に失敗して自殺、過労死などが存在するのだ。

日本を覆っている「場」による支配は人間関係などにウエイトが大きく、心理的な負担があまりにも大きすぎるように思う。

 

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「場」を維持するには

なにも持たない個人が集まり、「枠」の設定によって共通の場所を維持するには二つの方法がある。

 

1.枠内のメンバーに一体感をもたせる働き。

2.集団のメンバーを結ぶ内部構造を作り、それを強化する。

 

 

会社の理念などは様々ある。そのような道徳的な部分での共感を持たせることが会社の大きな役割である。

そして会社の中での人間関係を作る。メンバーになにか役割を与え責任を持たせることなどによって集団にとどまらせることができる。

「場」を維持するということは一種の宗教にならなければならいのだ。

 

資格の差別は理性的なものであるから、それを越えるために感情的なアプローチが行われる。この感情的アプローチの招来するものは、たえざる人間接触であり、これは往々にしてパーソナルなあらゆる分野に人間関係が侵入してくる可能性をもっている。 

 

外国のような「資格」によって成り立っている場合には仕事と割り切ってできるし、私生活との区別がしっかりとしている。

一緒に働く人がすべてであり、働く場所がすべてである。

感情で成り立っていて、仲間との絆でできているものだからこそ逃げ出すのは難しいし、私生活からすべてにおいて集団の力が入り込む。

 

エモーショナルな全面的な個々人の集団参加を基盤として強調され、また強要される集団の一体感というものは、それ自体閉ざされた世界を形成し、強い孤立性を結果するものである。ここに必然的に、家風とか社風とかいうものが熟成される。そして、これはまた、集団結束、一体感をもり立てる旗印となって強調され、いっそう集団化が促進される

 

自分が属している「場」の結束が強くなり、孤立化することによって「ウチ者」と「ヨソ者」の関係ができる。

「ウチ者」には優しく、「ヨソ者」にはきつくなる関係になる。

 

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「ウチ者」と「ヨソ者」

 

なぜ「ウチ者」には優しく、「ヨソ者」にはきつくなってしまうのだろうか?

これまでの話を踏まえればだいたい予想はつくだろう。

 

日本社会は、全体的にみて非常に単一性が強い上に、集団が場によってできているので、枠をつねにはっきりしておかなければ集団成員が自分たちに、つねに他とは違うんだということを強調しなければ他との区別がなくなりやすい。そのために、日本のグループはしらず強い「ウチの者」「ヨソの者」意識を強めることになってしまう、という集団構成の質のあり方が問題であろう。

 

自分の存在している「ウチ」がすべての世界であるという考えによって「ヨソ」には強い反応をしてしまうのだ。

自分が属している集団は、全体の中の一つという考えになれば、「ヨソ」との区別も強くはならなない。

 

日本では社交性は育まれない

「枠」に囚われている日本の集団の中においては社交性を育てる場所がない。

 

すなわち、社交性とは、いろいろ異なる個々人に接した場合、如才なく振舞いうることであるが、一体感を目標としている集団内部にあっては、個人は同じ鋳型にはめられているようなもので、好むと好まざるとにかかわらず接触を余儀なくさせられ、個人は、集団の目的、意図に、よりかなっていれば社会的安定性がえられるのであり、仲間は知りつくしているのであり、社交などというものの機能的存在価値はあまりないのである。

 

「型」にはまることが第一であり、他のことはどうでもいい。

社会人になるということは自分が属する企業の色に染まっていくということだ。

だから働く仲間、理念、雰囲気は大切になってくる。

知らないうちにあなたの常識は塗り替えられ、自分が想像もしていなかった場所に行ってしまうのかもしれない。

きちんと外から見た自分という視点を持ち合わせれていないといけない。

 

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所属する集団は一つだけ

個人が集団の中に入るにはその人のすべてをささげなければならない。

だから日本の中で二つの集団に属するのは難しい。

 

もちろん個人として二つ以上の集団に属しているのが普通であるが、重要なことは、必ずそのいずれか一つ優先的に所属しているものが明確にあり、あとは第二義的な所属で、また、自他ともにそれが明瞭になっているということである。

 

属している集団の優先順位をつけないといけない。

これは知らないうちに日本人には刷り込まれている。

自分はどちらかを優先しているということを示さなければならない

 

二つ以上属していると潔癖性がないとみられてしまう。

「あいつあそこにも属している」というような感じに。

 

これは日本人なら当たり前の反応のような気がする。

だが考えてみるとこれは普通ではないのかもしれない。

 

場によって個人が所属するとなると、現実的に個人は一つの集団にしか所属できないことになる。その場を離れれば、同時に、その集団外に出てしまうわけであり、個人は同時に二つ以上の場に自己をおくことは不可能である。

 

まとめ

日本人は田舎っぺ体質がDNAに取り込まれているんだと感じる。

人間関係は閉鎖的、自分のコミュニティーしか興味がない。

こんな閉鎖的な場所で社会人は生きていかなければならない。

自分が頼れるコミュニティーの数が人生の豊さにつながると誰かが言っていたが、本当にそれはそうなんだと感じる。

日本社会においてはそれはとても必要になる。

コミュニティーを増やすこと、これが必要だ。

 

コクソンを見に行った。 國村準が最高に怖いぞ。

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韓国で大ヒットをした。コクソン。

國村 準が主演し、韓国で第37回青龍映画賞で外国人俳優として初受賞となる男優助演賞と人気スター賞のダブル受賞を果たした作品だ。

とにかく國村 準がかなり怖い。

めちゃくちゃ不気味な存在を演じている。

 

 

あらすじはこんな感じ

平和な田舎の村で連続殺人が発生。しかも殺人を犯した者たちは全員、体がただれ、湿疹ができ、目がにごり、言葉を発さない抜け殻のような状態になってしまう。

事件を追う警察官のジョング(クァク・ドウォン)は、いつしか村のはずれに住むようになった日本人(國村隼)が怪しいと推測する。さらに、ジョングはやさしい娘であるヒョジンの体に殺人者たちと同じ湿疹ができていることに気づき、日本人を追い詰めていくが――

 

 

 

とにかく最後まで謎の残る作品だった。

「見ているものは本当に真実なのか?」というのがキーワードらしい。

 

どいつが悪者なのか最後まで分からなかった。

やっぱ最後まで謎が残る作品はおもしろい。

 

ギャグを所どころ入れながら、恐怖を描く。

最後まで目が離せなかった。

 

幽霊がは出てこないが、よくわからないゾンビみたいな人間が出てくる。

こいつがよくわからない存在だった。

 

最初は絶対に悪者だと思っていながら見ていたが、途中からこいついい奴かもと思いながら見ている自分に気づく。

結局答えでない。

むずむず。

 

最近のホラーは幽霊だとか、ゾンビとか出てくるけどその破綻した世界で人間はどうするのか、

本当に怖いのは人間だ、という感じのが多くておもしろい。

怖いのは人間だという感じになってきている。

ウォーキングデッドもそうだし。

 

人間どうしの中で起きる恐怖が一番怖いのだ。

 

だから人間はおもしろい。

 

國村 準の演技が半端じゃない。天使なのか悪魔なのか絶妙な演技見どころ。

悪魔に変化した時の怖さはホントにえぐい。

 

ぜひ見に行ってほしい。

 

 

 

 

笑いのカイブツ 絶望、絶望、絶望その先にはなにがある

この本の中には天才でありながらも、絶望しかないツチヤタカユキのことが書いてある。

本の9割が絶望だ。

劇薬を試したい方は読んで欲しい。

 

 

お前のカイブツはなんだ

 

誰も自分の内側に存在しているカイブツ。

どうしようもない、汚い、暗い、絶望と思われるものを抱えている。

 

僕が思う人間の価値は、人間からはみ出した回数で決まると思っている。そして僕は、その回数で圧倒的に負けていた。

 

クレイジーな生き方、破天荒な生き方に人々はいつの時代でも憧れを持つ人は多い。

若い人ならなおさら憧れるだろう。

だが、人間からはみ出す行為というのがなかなか難しい。

はみ出すことが勝手にできる人もいるが、どうしてもできない人もいる。

社会という、人間が作り出した正義の中にとどまることができるのならば、その人は普通の人間ということであり、

はみ出すことができるものだけが、人間を超越し、人間の価値を作ることができる。

 

ツチヤタカユキは「ケータイ大喜利」でレジェンドを目指す為に1日にボケを2000千個作ることを課した。

毎日脳がとろけるまでに作り続けた。

それによってレジェンドになれたが、常にボケしか思いつくことができないほどになってしまった。

人間関係は得意ではなく、それによって様々な障害が立ちはだかる。

どうしようもない。

構成作家として入ったよしもともクビになってしまう。

よしもと、というお笑いの世界も結局人間関係が大切で媚びを売ってうまくやっていくやつがデビューする世界だった。

 

誰よりも努力し、誰よりもおもしろいボケを作ることができるが、世の中には認められない。

日々悶悶としながら生きる。まさに地獄。

 

地獄というのはいつもすぐ目と鼻の先にあって、生きるということは、そこに飛び続ける瞬間の連続だと思った。地獄、そしてまた地獄、そこから先も地獄はきっと、ずっと永遠に続く。どこにも行きたくないけど、ここにとどまりたくもないから、目の前に広がる地獄の中に飛び込んでいくしかない。

 

絶望が覆う世界では地獄の日々を過ごさなければならない。

毎日毎日笑いを感あげ続けるも世間は認めてくれない。

人間不適合者はこんなにも生きづらい。

 

 

笑いを考え続けた人から学ぶお笑い

 

人を笑わすことには大きな価値がある。

人間笑っていれば楽しくなるものだ。

だが笑わすということは簡単なものではない。素人の笑いもあるが、プロとしてのお笑いの世界は難しい。

そのプロのお笑いを作り続け、分析し、考え続けた人に、本当のお笑いとはなにか学ぶ

ことはたくさんある。

 

 

笑いの本質とは、人間の道理の正しさを的確かつ盛大に破壊することにある

 

お笑いとは正しさ、道徳観、社会的風習、などを知っていてそれを破壊することで、笑いが生まれる。

だからこそ、しっかりとした礼儀、正しさを知っていなければならない。

 

お笑い芸人とはどんな時でもふざけている、だらしない、礼儀を知らない。そんなイメージがあるかもしれないが、売れている芸人こそそっかりとした礼儀をわきまえている。

問題になるyoutuberのように、ただふざけたことをするのはショーもない笑いだ。

そのんなの程度の低いお笑いはいらない。

もっとレベルの高いお笑いをするには正しさを知ることが必要だ。

 

「今の芸人は、ほとんどが競技用やねん。養成所に行って、ライブに出て、ネタを磨き、賞レースの決勝残って、テレビに出て、平場でオモロイって所を見せて、売れるっていう競技に参加しているだけの、ただのおっさん」

 

今のお笑いの養成所には何千人という人が入ってきます。

本気でお笑いの勉強をするために。

だがお笑いとは勉強して作るものなのか。

その笑いには機械的な感じが出てくる。

もっと簡単に人を笑わすことが必要ではないか。

その人の生き様が大切なのではいか。

生き様はその人に表れます。

作られた笑いで活躍する芸人は少ないように感じる。

人気の芸人と言われる人の生き方は共通しておもしろい。

 

まとめ

この人の文章には哀しみ、喜び、絶望、嫉妬、がすべて詰め込まれている。

読んでいて人間の普段表面には出さない、暗い塊が現れてくるような感じがする。

人間は明るいところだけではなくて、暗いところもみんな持っている。

もっと人間なんてショーもないんだと知るべきだ。

正しさに縛られて身動きが取れない方、落ち込んでいる方、人生ってなんだろうと考えている方、みんなに読んでもらいたい。

特効薬にはならない、救いにはならない、でもこれだよなと心に刺さります。

笑いのカイブツ 絶望、絶望、絶望その先にはなにがある

この本の中には天才でありながらも、絶望しかないツチヤタカユキのことが書いてある。

本の9割が絶望だ。

劇薬を試したい方は読んで欲しい。

 

 

お前のカイブツはなんだ

 

誰も自分の内側に存在しているカイブツ。

どうしようもない、汚い、暗い、絶望と思われるものを抱えている。

 

僕が思う人間の価値は、人間からはみ出した回数で決まると思っている。そして僕は、その回数で圧倒的に負けていた。

 

クレイジーな生き方、破天荒な生き方に人々はいつの時代でも憧れを持つ人は多い。

若い人ならなおさら憧れるだろう。

だが、人間からはみ出す行為というのがなかなか難しい。

はみ出すことが勝手にできる人もいるが、どうしてもできない人もいる。

社会という、人間が作り出した正義の中にとどまることができるのならば、その人は普通の人間ということであり、

はみ出すことができるものだけが、人間を超越し、人間の価値を作ることができる。

 

ツチヤタカユキは「ケータイ大喜利」でレジェンドを目指す為に1日にボケを2000千個作ることを課した。

毎日脳がとろけるまでに作り続けた。

それによってレジェンドになれたが、常にボケしか思いつくことができないほどになってしまった。

人間関係は得意ではなく、それによって様々な障害が立ちはだかる。

どうしようもない。

構成作家として入ったよしもともクビになってしまう。

よしもと、というお笑いの世界も結局人間関係が大切で媚びを売ってうまくやっていくやつがデビューする世界だった。

 

誰よりも努力し、誰よりもおもしろいボケを作ることができるが、世の中には認められない。

日々悶悶としながら生きる。まさに地獄。

 

地獄というのはいつもすぐ目と鼻の先にあって、生きるということは、そこに飛び続ける瞬間の連続だと思った。地獄、そしてまた地獄、そこから先も地獄はきっと、ずっと永遠に続く。どこにも行きたくないけど、ここにとどまりたくもないから、目の前に広がる地獄の中に飛び込んでいくしかない。

 

絶望が覆う世界では地獄の日々を過ごさなければならない。

毎日毎日笑いを感あげ続けるも世間は認めてくれない。

人間不適合者はこんなにも生きづらい。

 

 

笑いを考え続けた人から学ぶお笑い

 

人を笑わすことには大きな価値がある。

人間笑っていれば楽しくなるものだ。

だが笑わすということは簡単なものではない。素人の笑いもあるが、プロとしてのお笑いの世界は難しい。

そのプロのお笑いを作り続け、分析し、考え続けた人に、本当のお笑いとはなにか学ぶ

ことはたくさんある。

 

 

笑いの本質とは、人間の道理の正しさを的確かつ盛大に破壊することにある

 

お笑いとは正しさ、道徳観、社会的風習、などを知っていてそれを破壊することで、笑いが生まれる。

だからこそ、しっかりとした礼儀、正しさを知っていなければならない。

 

お笑い芸人とはどんな時でもふざけている、だらしない、礼儀を知らない。そんなイメージがあるかもしれないが、売れている芸人こそそっかりとした礼儀をわきまえている。

問題になるyoutuberのように、ただふざけたことをするのはショーもない笑いだ。

そのんなの程度の低いお笑いはいらない。

もっとレベルの高いお笑いをするには正しさを知ることが必要だ。

 

「今の芸人は、ほとんどが競技用やねん。養成所に行って、ライブに出て、ネタを磨き、賞レースの決勝残って、テレビに出て、平場でオモロイって所を見せて、売れるっていう競技に参加しているだけの、ただのおっさん」

 

今のお笑いの養成所には何千人という人が入ってきます。

本気でお笑いの勉強をするために。

だがお笑いとは勉強して作るものなのか。

その笑いには機械的な感じが出てくる。

もっと簡単に人を笑わすことが必要ではないか。

その人の生き様が大切なのではいか。

生き様はその人に表れます。

作られた笑いで活躍する芸人は少ないように感じる。

人気の芸人と言われる人の生き方は共通しておもしろい。

 

まとめ

この人の文章には哀しみ、喜び、絶望、嫉妬、がすべて詰め込まれている。

読んでいて人間の普段表面には出さない、暗い塊が現れてくるような感じがする。

人間は明るいところだけではなくて、暗いところもみんな持っている。

もっと人間なんてショーもないんだと知るべきだ。

正しさに縛られて身動きが取れない方、落ち込んでいる方、人生ってなんだろうと考えている方、みんなに読んでもらいたい。

特効薬にはならない、救いにはならない、でもこれだよなと心に刺さります。

「ディストラクション・ベイビーズ」を見ての感想

狂気が渦巻いているそんな映画でした。

ほぼ柳楽優弥は人を殴っています。

 

何かを感じる取る映画というよりはただ映像を見て感情をそのままさらけ出せる。

あまりにも主人公は自分の狂気ともいえる感情をそのままに出していて、そこまで人殴るかってほど殴ります。最後まで。

映画だからできることですけど。なんだかすっきりしますね。こんだけ自分の思うがままに人殴って、やりたいことして生きるというのは。

 

今大人気の菅田将暉と小松奈菜が出てるんですけど。

この人達が見たいから安易にこの映画見に行くとまじで度肝抜かれると思う。

そんな生易しい映画ではない。

菅田将暉の演技はいうことないですが、

小松奈菜の演技がこの映画でなにか一つ開花したんではないかと思う。

きれいな顔をしていますが、特徴的な顔立ちをしている小松奈々がとても役柄に合っていて、この感じから繰り出される、狂気なとことか、エロさなどがとてもいい。

他にはない色気を感じる。

 

この3人が交わるとき狂気と狂気と狂気が交わるとき。そこには暗黒な世界に突入する。だがあまりにも主人公の狂気が大きすぎてほかの2人は飲み込まれた気がする。

主人公に便乗した形になっても途中で大きな狂気に飲み込まれてしまう。

主人公の闇は底しれない。

 

間違いなく問題作の映画だと思うが後に引かないグロさでなに僕はすっきりした。

あまりにも人を殴りすぎるので監督さんはどんだけストレス溜まってるのって感じた。笑

感情を押し込んで生きているなかでなんだか心が解放されるそんな気がした。

 

イスラム教について書いてみる 2

イスラム教の創始者はムハンマドです。

 

この人は一般人というのが重要です。

ムハンマドは570年頃に、現在のサウジアラビアのある、アラビア半島メッカの商人の家に生まれた。

幼い頃に両親をなくし、非常に苦労して育った。勤勉で誠実な商人だった。

 

なぜ一般人のムハンマドイスラム教を作ったのか?

 

ムハンマドの人生が変わるのは610年のことです。

いきなり体に衝撃を受ける、それはとてもやべえもので。

これなんだよ。と思い、あまりにつらいので、自殺を考えたほどつらかった。

しかし、それは神の啓示と気づく。

 

一神教の本来の姿

 

ムハンマドの教えは合理性、説明可能性を重視します。ムハンマドはあくまでも人間であり、神の僕に過ぎない。しかし、神の言葉を預かったことで、一神教の伝統を本来のものへと正す使命を担ったと。

 

 一神教キリスト教ユダヤ教は、少しゆがんだものとして成り立っている。

ルールが少しややこしい、しかし、イスラム教一神教の本当の姿であるということです。

 

 

イスラム教がなぜ広がったのか?

 

アラビア半島は土地的に悪いところでいろんな国から攻撃されたり、税金をかけられたりして、みんなの不安や怒りが蓄積されていて、それが広がる土台になった。

他の一神教もそうだが、民衆がひどいことにあったりすると宗教が生まれるんだ。

人間はどこかに頼りたくなる生き物であるからなんだと思う。

 

 

ムハンマドが語ったこと

まずムハンマドが語ったのは、神の前の平等性でした。多くの人が貧富の差に苦しむなか、神の前では誰もが地位や収入にかかわらず、一律に服従する。

たとえば、断食の義務は、お金を持っている人もそうでない人もそうでない人も関係なく、誰もが行われなければなりません。非常に具体的な形で、平等をあらわしているのです。

 

どんな地位も平等に暮らす。ただ教義で言っているだけじゃなくて、行動としてみんなする。それが本当の平等ですかね。これが一神教の本当の姿なんですね。