思想の備忘録

農業のこと、本のこと、思想のことなどなど

仕事選びに迷いすぎている人は、楠木建さんの本を読めばいい。

経営学者の楠木さんは毒舌と分かりやすい例えで書かれています。
「好きにしてください」という本もとても面白く目から鱗の言葉がたくさんあります。

 

好きなようにしてください

好きなようにしてください

 

 

 

「やってみてチャラ」

 

今この時代情報が溢れ、ネットには有名人などが様々なことを言っています。
これから仕事をし始める大学生などは選択肢がありすぎる上に、目に見える情報も溢れており悲惨な状況だと思います。


こんな状況で仕事を決めるなど難しいことに決まっています。

そこでどうするのか。
もうそれは「やってみてチャラ」だと楠木さんは言います。

 

情報に踊らされ自分の芯の部分は関係なく、給料がいいから、人気の企業だからという理由で選ぶと悲惨な状況になります。
肩書きや、スペックなどは「生モノ」です。だから日持ちが悪く、コロコロと変わります。
だから、本当のことはやってみてなんぼという精神が大切なのです。

結局は肩書き、仕事の名前だけで決めてもあまり意味のないことで、キャリアとは自分で作るもので誰かの作ったものに動かされているだけでは他人の人生を生きることになるということです。



最後は自分でどうにか決めるしかありません。徐々に自分といううものが作られていくので少しづつ進んでいけばいいのです。

 

仕事とは何か?

 

社会人になるということは仕事人生がスタートするということです。
この本では口すっぱく、「自分以外の誰かに対して、役にたつ」と書いてあります。


自分以外の受益者に対して、何かの価値を作り、仕事の対価としてお金を払ってくれる。
これがプロの仕事です。

 

仕事の基本は人のためになることをする、それだけなんだと思います。

職業だけが一人歩きして、根本にある「人の役に立つ」ことができなければそれはただの趣味なのです。
誰かの役に立てそうだなと感じれる職業をまずは見つけることが分かりやすいのかもしれません。

 

与えられた目の前の仕事をきちんとこなしていけば頼りにされていき、この繰り返しで「こいつは仕事ができるなあ、頼りになるな」と期待されてより大きなチャンスが巡ってきます。
仕事やキャリアは難しく考えることはありません。
目の前のことをしっかりやっていく、そうすれば徐々に実績が積み上がっていき、変化してブレイクしていくのではないでしょうか。

 

若さの弱点とは

 

現代社会は「インスタント・ソサエティ」という状況になっていると言われています。
これは目の前の自分の欲求だけを満たして、後のことはどうなっても良いと考えることです。


キャリアについてもこの病に侵されています。
しかし、キャリアとはそのようなものではありません。長い時間をかけて作られていくのです。

 

インスタントに解決できない問題については割と長い時間を与えてくれています。
すぐ変化を求めるのではなく、焦らずじっくりと取り組むことが一番大切です。

 


周りの状況に焦らされることも学生は多いでしょう。

そこをしっかりと我慢して自問自答することでこれからの人生に確実にプラスになることでしょう。

 

すぐに問題を解決しようとする姿勢こそが若者に特有であり、弱点です。
思考の時間軸を長くもつことが仕事選びにかなり重要なヒントになることでしょう。


キャリアという歴史はこれから作られていくものです。

一つ選んだから全てが決まる訳ではありません。
ここを勘違いしてはいけません。
今の時代何がどうなるか分かりません。自分が選んだ場所で頑張ることが一番必要とされているのではないでしょうか。

 

日本にとっての資本主義とは

資本主義にはいろんな国の形があるということを私たちはもっと認識しないといけないのかもしれない。

西洋に染まった資本主義に世界は飲み込まれているが、中国のようにどんどんアジアも経済国として大きくなってきている。

 

そうすると経済のルールも大きく変化するのかもしれない。

今資本主義は行き詰まりを見せているが、それは西洋の資本主義の行き詰まりが原因なのかもしれません。

だとすると、それぞれの国の資本主義をうまく出して調和をとって世界を動かして行くことが次の時代には必要なのかもしれません。

 

だからこそ日本と西洋の資本主義のルールの違いを知ることが大切です。

 

 

西洋の資本主義を知るにはキリスト教を知ることが必要です。

キリスト教が大きく動いたのはルターによって宗教改革が起き、プロテスタンティズムが生まれてことによって西洋の資本主義は大きく動き出しました。

 

プロテスタンティズムはルターが発端となり生み出され、キリスト教はその頃教会が腐敗しており、ルターは聖書通り行うことによって誰でも救われるということを教え、一般人にも救いに手が差し伸べられました。

 

それは日本も一緒で、日本では仏教が取り入れられていたが誰でも救われるわけではなく、修業を積んだ者しか救われることはなかった。

しかし鎌倉新仏教が取り入れられ一般人も普段から念仏を唱えることで救われるように変化した。

 

この西洋と日本の一般人が宗教によって日常の生活が宗教の実践する場となることが社会経済に重要な影響を与えたのです。

 

 

キリスト教と仏教の違い

 

キリスト教は予定説によって救われる人はもともと決められています。

どんなに努力しても絶対に救われますとはわからない。

だから私こそは救われる人間なのだから禁欲的な生活をして、人類に貢献することをしているのだ、というような思考になる。

 

人類は神様が作ったから、何かを物や人を崇拝することは嫌われているから、信者は他人にはあまり興味を持たず、人類や公共に貢献する考えがあります。

 

仏教は自分の努力によって救われることができ、輪廻から脱却することがゴールです。

それには身近な他者を大切にして、日々の生活を充実することが修行となり救いになります。

だから、日本人には過剰に他人に対する興味があり、目もあるのです。

 

これにはいいところも悪いところもあります。

日本では出る釘は打たれがちになってしまい、みんな同じではないといけないような思考になってしまいます。

 

ある程度はこれは仕方がないことなのかもしれません、

日本人に生まれこまれたDNAと言えるでしょう。

 

まとめはこのようになります。

 

キリスト教の世界では、被造物の神化の否定から身近な他者への関心は禁止され、また神の最大の関心事はその創造の成果の中心にある人類のあり方にあるとされた。

このため神の栄光を高めることを目標とする人々の宗教生活では、人類の福祉や公共の厚生が常に中心的な目標とされ、自由な個人と公共世界からなる世界観が成立した。

しかし易行化以後の日本において、人々がその世俗的な社会的経済行動を行うにあたって意識したのは、身近な他者であって、人類や社会全体のあり方、公共世界が問題とされることはほとんどなかった。

日本の世界観は人類や公共世界でなく、身近な他者からなるのである。

 

 

 

西洋と日本で宗教によって違いがこんなにも生まれます。

これが正しいという経済はないのかもしれません。

いろんな国の経済感覚を組み合わせることがこれから必要になるのかもしれません。

だから、西洋だけが正しい、と考えることをやめなければいけません。

自分たちの国の経済の感覚も大切に持っておくことが大切でしょう。

 

 

日本型資本主義-その精神の源 (中公新書)
 

 

他人2.0

newspicksの今回の落合さんの動画を見て多様性の話がとてもおもしろかった。

 

今日本で叫ばれているのは「意思なき多様性」なのだと。

多様性と言ってもどこにフォーカスを当てるのかで話は変わる。

一括りに多様性と言っても範囲が広すぎるのだ。

 

そして共感をベースにした意見や、話し合いは意味がないことを改めて感じた。

 

共感だけで意見をしてもいい意見は出てこず、海外のように何か一つの目標に向かっていろんな意見を出すことが必要なのだろう。

 

同調圧力、共感を求められる日本では多様性と言っていてもあまりそこには意味がなく、AIという言葉が今流行っているが、次のバズワードは多様性だと落合さんも言っていた。

 

ただの流行語のように流され使われる言葉や考えがほとんどなのかもしれない。

 

もっとディスカッションの勉強が必要なのだろう。

 

自分の一つの意思、目標があれば他の人の共感を考えず、進んで行けばいい。

今活躍している人は共感を求めて動いているのだろうか、それだけでは多分弱くいつかくじけるだろう。

 

好きなこと、何か解決したいことなど興味、関心、好きなことがベースにあるのが大切である。

 

 

他人2.0

newspicksの今回の落合さんの動画を見て多様性の話がとてもおもしろかった。

 

今日本で叫ばれているのは「意思なき多様性」なのだと。

多様性と言ってもどこにフォーカスを当てるのかで話は変わる。

一括りに多様性と言っても範囲が広すぎるのだ。

 

そして共感をベースにした意見や、話し合いは意味がないことを改めて感じた。

 

共感だけで意見をしてもいい意見は出てこず、海外のように何か一つの目標に向かっていろんな意見を出すことが必要なのだろう。

 

同調圧力、共感を求められる日本では多様性と言っていてもあまりそこには意味がなく、AIという言葉が今流行っているが、次のバズワードは多様性だと落合さんも言っていた。

 

ただの流行語のように流され使われる言葉や考えがほとんどなのかもしれない。

 

もっとディスカッションの勉強が必要なのだろう。

 

自分の一つの意思、目標があれば他の人の共感を考えず、進んで行けばいい。

今活躍している人は共感を求めて動いているのだろうか、それだけでは多分弱くいつかくじけるだろう。

 

好きなこと、何か解決したいことなど興味、関心、好きなことがベースにあるのが大切である。

 

 

若者が起業するということ

 

これから農業の会社だが起業することになって準備は着々と進んでいる。
社会人の経験もなく、社会のイロハのイさえも知らないで死ぬほど無知で、礼儀も知らない僕は起業するのだ。


でも心配はいらないのかもしれない。

若いから応援してくれる人も多く、何かわからないことがあれば聞けば教えてくれる、これこそが若者のが起業する特権だ。


社会のことを知って専門性を身につけてある程度年を重ねて起業することもできるがそれではミスは許されず、他の人にも聞きズラいことも多いだろう。
しかし、若ければミスもある程度許され、なんでもわからないことは聞きながら、成長することができる。


若い人は無知でも起業して、周りの人に頼りながら挑戦していけば、大きな成長を手にすることができるだろう。

 

未来は待つものではなくて、作るものだ。
僕らで楽しい未来を作ろう。

今生きる世界は、幻想で成り立っている。価値と使用価値の話。

 

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この世界は幻想で成り立っています。

世界を作っているお金というのは幻想です。

 

お金とは、よくわからないものでお札は目には見えるけど銀行の口座にあるものは数字の羅列だけです。

 

はっきりと言いますが、お金とは幻想であり、お金で測れる尺度はクソであるということです。

 

お金とはただの尺度であることを現代人は忘れてしまっています。

お金に惑わされることで本当の価値が見えにくくなっています。

お金という尺度がなぜ幻想と言えるのかを説明していきます。 

 

経済の価値とは使用価値ではない。

 

経済学者のリカードという人は、使用価値と富は別の世界で生まれ、経済は使用価値を切り捨てたところで展開していると言っています。

 

これはどういうことか水とダイヤモンドの例を使って説明します。

水は人間に絶対に必要なモノです、ダイヤモンドは人間に必ず必要ではなく、使い道もあまりありません。

しかし、経済的に見れば、ダイヤモンドは水よりも価値が高いのです。

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おかしなことだとは思いませんか?

 

人間に絶対に必要なものは価値が低く、人間にとって必ずとも必要ではないものが価値が高いのが資本主義です。

不足しているモノは価値が高く、多いものは価値は低いのが資本主義です。

モノの価値はそれ自体が決めるのではなく、人間との関係によって決まります。

 

 

 

 一次産業は今では高齢化が進み、給料は安く、きつく、休みがなく若い人がやりたがらない仕事になっています。

しかしみんなが儲かる仕事だけをして、農業をする人がいなくなるとどうなるでしょうか?

 

 

資本主義から見れば農業には価値はありません、だってお金をあまり生みません(これからの時代食糧不足などを起こすことがあるとすれば価値は上がりますが)。

しかし、人間にとって見れば食べるモノを作っているわけですから一番重要だと言えます。

経済から見れば価値はないものは、人間にとっては重要であることが多いのです。

一次産業は絶対に必要な職業と言えます。

 

 

 

 

なぜ使用価値が資本主義では評価されないかというと、使用価値とは誰にでも一緒ではないからです。

水をたっぷり飲んだ人には水はあまり必要ありませんが、喉が乾いている人にとってはとても重要です。

このように使用価値は経済的に見ると合理的ではない価値であると言えます。

 

それに比べダイヤモンドのように使用価値を無視して、価値だけを評価するのは合理的な価値と言えます。

この合理的な価値を持って経済は成り立っています。

 

 経済が行きすぎた世界で僕らはどうすればいいか?

 

商品には値段がついていてそれは当たり前のようになっていますが、本当はその値段も絶対的なものではありません。

商品には値段があり、価値があるんだとみんなが思うことで成り立っているのです。

 

経済的に見ることは合理的になんでも考えなければいけないから、こういう価値があるんだと想うことでできあがるのです。

 

結局資本主義というものは幻想なのです。

ナショナリズムと同じで幻想です。

 

実体がないのに価値が作られる。

幻想の貨幣に私たちは踊らされています。

 

本当に人間にとって必要で、価値のあるものはなんなのかを見つめ直すことがこれから必要になっていくのではないでしょうか。

 

 

貨幣の思想史―お金について考えた人びと (新潮選書)

貨幣の思想史―お金について考えた人びと (新潮選書)

 

 

 

社会人になるとお金はないよ気つけてや。

新社会人になると生活は全くもって違うものになる。

慣れない仕事で疲れて帰ると寝るだけ、休日は友達とお酒を飲みに行き、寝て起きると休日は終わっている。

 

あれ社会人ってこんな感じ?あんまり楽しくないものなのか?という壁にぶちあたることだろう。まあ安心してほしいこれは誰にでも起きる現象だ。

 

仕事が楽しいだなんて資本家が作り出した嘘だ、仕事なんてやっていくうちに何かしらのやりがいだの楽しさを作りだすものだ。

仕事は楽しいものではなく、自分が楽しさを作り出さなければいけない。

 

そしてお金の不安が君たちを襲う。

こんなつまらない仕事をこれからもずっとできないな。

だったら早くお金を稼いで自由になりてえな。

これもみんな考えることだ。

 

そこで何を君たちは考えるのか?

株、不動産、ネットビジネス、などなど考えるだろう。

 

その隙間に入り込んでくる人たちが君に歩み寄ってくることだろう。

ネットワークビジネスやら何やらかんやら。

そして君を誘惑する。

 

その誘惑に負け、仕事を辞めてのめり込むのもありだろう。

でも果たしてそれは君を幸せにするだろうか。

お金だけに目をくらまされてしまったらおかしなことになってしまう。

 

社会に出たのだから、まずはきちんと働くということをしてから考えてもいいのかもしれない。

他人の利益のために尽くす、という経験が結局お金を儲けることにつながる。

お金は信頼の量と比例する。

信頼を集める者がお金も集めると思う。

 

なぜ今ユーチューバーなどがお金を稼げるのか、それは信頼があるからだ。

おもしろことをするだとか、勉強になることをすることで人々のためになっている。

楽しむことや、信頼を集めることがお金を集めることだろう。

 

まあ今活躍する人が見えやすく、周りの人もどんなことをしてるのか見えやすい世界になって、不安や嫉妬を煽られることが多くなった。

今自分は何をしているのか、こんなとこで大丈夫なのか、そんなことを考えてしまう。

しかし、今自分がやっていることを一生懸命することでこの先の未来は作られると考えてみてはどうだろうか。

 

今置かれた場所で咲きなさい。

この言葉が表しているように今いる場所でがんばることで他の場所でも花を咲かすことができるのだ。

 

何にでも手を出してうわべだけをできても意味はない、何か一つ仕事を身につけてから他の仕事をすることでオリジナリティは作られていく。

オリジナルは何かと何かを掛け合わせたものでできている。

だから君も個性的になるには何か一つ取り組む必要がある。

 

結局何かを掴むものは何か一生懸命に取り組んだ経験がある人が掴むものかもしれない。

自分が熱中できることがあればそれが一番幸せだろう。