思想の備忘録

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イスラム教について書いてみる 1

この本を参考に書いています

 

文藝春秋SPECIAL 2016年冬号 [雑誌]

文藝春秋SPECIAL 2016年冬号 [雑誌]

 

 これとても分かりやすいので気になった方はどうぞ。

 

 

イスラム教と聞くと悪いイメージが沸くと思います。

でもそれはただのイメージであって、それだけで判断するのはおかしいことです。

イスラム国(IS)の問題があり悪いイメージですがちょっと知るだけでイメージはすぐに変わるものです。

 

 

 

大文字のイスラムと小文字のイスラム

 

イスラム教で一番重要なことは「神の前での平等」です。

キリスト教には聖職者などの階級がありますが、イスラム教には階層などは存在せず、

みな「神の前での平等」の元に存在している。

 

7世紀のはじめに成立したイスラム教は、いろいろな意味で合理的であり、

信仰と日常生活との両立に無理が少ない宗教だという一面も持っています。

だからこそ、現代において世界のあらゆるところで16億人もが信仰しているのだといえるでしょう。

 

今どんどんイスラム教の人の割合が増えていてキリスト教の信者の数を抜くともいわれています。その理由には「神の前での平等」が大きな理由の1つと言えると思う。

 

 

このイスラム教の中には過激なテロなどを起こす人と多くの人々が穏やかに生活をしている人々がいます。それを「大文字のイスラム」と「小文字のイスラム」という例えで表します。

 

「大文字のイスラム」とは、非常に狭い意味で厳格化した教義です。

自分たちの解釈がすべてであり、それ以外の説明は認めず、排除する。

これがしばしば他宗教、他民族との衝突を生み、あるいは同じイスラム教であっても、他宗教に対する攻撃となってしまう。

 

 

「小文字のイスラム」は内面的な日常の信仰です。

イスラム」とは「神(アラー)に対する絶対的な帰依」という意味ですが、日々神に祈りを捧げ、神と対話する。この「小文字のイスラム」からすると、その土地や民族によって様々な慣習の違いがあり、個人で職業も違えば、生き方も異なる。

 

多くの人は「小文字のイスラム」に生きているが少数の「大文字のイスラム」も存在する。この2つがあるということ。

多くの人は凶暴な「大文字のイスラム」の印象が強いためにイスラム教=悪。と思われがちですが、それは一部の人だということ。

ほとんどの人は「小文字のイスラム」に生きていているということです。

 

 

 

 

 

 

 

「何者」朝井リョウ 就活中の学生は絶対に見ないようにしましょう。

これは大学生は必ず読んだほうがいいです。

教科書にしたほうがいい。

そのくらいにおもしろい。

大学生が考えていることすべてここの本に書いてあります。

 

就活を中心に物語は進んでいき、その中で出てくる人間性がおもしろい。

これまさに就活している人にピッタリ当てはまる。

主人公はあまり就活に乗り気ではなく、一生懸命やっている人をツイッターなどで馬鹿にしている感じのやつ。こんな奴いるよなあって。

snsが普及し、さまざまな情報がある中で僕たちの就活はとても大変なものになってきている。

 

大学の大きなイベントである就活。

大学生というのは最初に遊び、そして4年になれば就活というイベントがいきなり始まる。これはとてもつらい。シフトチェンジできる奴もいるが、シフトチェンジできないやつもいる。

遊ぶことしか考えてないのに社会に出るという大きな門出が僕らには待ち構えている。

 

自由を振りまく大学という期間の中で就職という終わりがいきなり表れる。

就職をすれば自由はなくなり、縛りが生まれ、社会の歯車となる。そんなのが就職には充満していると思う。

だが周りに就職に対してなんにも不安もなく、ただ突き進める奴もいる。

 

こんな、自分の未来を信じて疑わない目が、日本全国そこらじゅうにある。それだけで、ぎゅっと心臓が小さくなる気がした。

 

自分には不安しかないけど周を見ればすごい自信がある奴もいる。

みんな不安だが、そう周りが見えてしまう。

 

いろんな不安を抱えて迎えればいいが、そのいろいろ考えた結果その不安が悪い方向にいくことがある。

 

就職サイトがオープンする12月1日が近づいてくると、就職活動は個人の意思のない世間の流れだと言い始める人が出てくる。自分は就職サイトに登録しなかったけど、というさりげない一言を利用して、自分は就職活動に興味がないちょっと変わった人間です、というアピールをしてくる人が出てくる。まるで興味、関心がないことが優位であるというような話しぶりで、「企業に入るのではなく、何者かである個人として生きていく決断をした」という主張をし始める人が出てくる。

 

こういう奴は周りにいるだろうか。

就活をしている人に対してただ小言を言ってるやつなんてなんの意味もないってこと。そう奴はどんどん取り残されていく。

結局一番すごいやつはどんなことがあっても前に進んで頑張っている奴が強い。

周りに流されず、ただひたすら進み続ける。

 

結論

なんにも言わず自分の目標に向かって努力し続ける。

動き続けること。

周りの奴なんてどうでもいい。自分のできることをする。

 

 

間違いなく面白いです。

ぜひ読んでいただきたい。

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

「この国のかたち」とは?

日本人を作っているものは島国という土地の造形が大きく関わっている。
島国に住んでいる、日本人は外の世界をすごいものと感じる。

外の世界が見えないからこそ想像する。

それが大きくイマジネーションに結びついた。
想像力が西洋と結びつき変化を与えた。想像力が日本を大きく変えた。
外の世界を崇拝し、感動を持つことも日本人の性格だ。

 

今の日本人の危惧することは無感動思想になることである。

これはとても危険な思想である。
すべてのものが満たされ、ものがあふれ、経済の成長は止まった。資本主義も行き詰まりをみせている。
成長という目標が消えている。なにを目標にすればいいのか分からなくなっている。
この世界はお金がすべてである。これは現実的なことである。お金を儲けることが一番にあるわけである。

今のこの世界の閉塞感をどうするか。これはとても大きな問題だ。


常に人間的な成長と人間にどのように幸せを分配できるかを考えなければならない。

それが世界に必要なことである。

 

日本の思想は無思想という思想である。だから神社と仏教を融合した。
自分の幸せはある程度上まで行くともうそれ以上求めても幸せは感じられなくなる。
次の幸せにつなげるには他人の幸せを考えることである。人間の細胞には他人に尽くすことで幸せになるということが埋め込まれている
自分の幸せプラス他人の幸せで次元の違う幸せになるのであるわけである。ここの境地にみなが達することで違う次元の世界になるわけである
幸せは一方方向だけではなく様々な方向に向いているわけでいろんな角度で刺激することで刺激された幸せはすごいもになる

「幸せになる勇気」 若者たちよ今こそ本当の愛を知ろうではないか。

前作の「嫌われる勇気」は100万部を突破し、韓国では49週1位という爆発的なヒットを記録した。

アドラーは競争することを大きく否定している、その思想が韓国の激しい競争社会にアンチテーゼを立てたからヒットしたんだと思う。

 

今回の「幸せになる勇気」では前作を踏まえてより深く話がされている。

より実践的なことが書かれていて、内容もそんなに長くないし、これからの生き方に影響を与える深い言葉がたくさんある。

 

そこでこの記事では「愛」についてアドラーの考えを書きたいと思う。

 

 

 

愛は落ちるものではない?

 

一般的な愛は2つある。

相手のことを崇拝して、けがれを許さないとてもきれいな人として見る愛。

 

相手の容姿に性欲が湧き、性的なものに駆られる愛。

 

これは誰にでも分かる気持ちだと思う。

でもそれは「観念的」と「本能的」愛ばかりである。

もう一つの「人間の愛」をだれも知らない。

この「人間の愛」とはなんなのだろう。

 

「愛とは。一部の心理学者たちが考えているような、純粋かつ自然的な機能ではない」

 

愛は本能的に、運命的に定められていると思っているが、それは違う。

愛は「築きあげるもの」である。

これを知らなけれ一番大切な「愛すること」ができていない。

 

エーリッヒ・フロムはこう言ってます。

確かに他者から愛されることはむずかしい。けれども、「他者を愛すること」は、その何倍もむずかし課題である。

 

 

相手にずっと好きという感情を持ち続けるのは難しい。

どんなに一目ぼれで、大恋愛をした相手でも飽きることがある。

そして飽きたから別れる。これでは常に消費するだけの恋愛しかすることができない。

相手に対して気持ちを持ち続けることが難しいことか。

 

 

本当の愛とはなにか?

 

 

愛とは、「ふたりで成し遂げる課題」である。

しかし、われわれは、それを成し遂げるための「技術」を学んでいない。

 

 

学校や、会社など組織での人間関係は学んでいるが、2人だけで作る関係性は教えてもらうことはない。

2人で作るということは自分の幸せだけじゃなく、相手の幸せだけでもなく、「ふたりの幸せ」を作らなければいけない。

それは簡単なことではない。

愛とは二人の人間関係を作り、二人の幸福を作るということ。

 

なぜ愛することが幸福につながるのか。

 

 

ひと言でいえばそれは、愛が「わたし」からの解放だからです。

 

今まで自分中心で見てきた世界が「わたしたち」という世界に視点が変わる。

「自分」という自我が消える。

それにより幸福になる。

これで貢献感を感じることで幸福になることにも納得ができる。

相手に対してなにかすると幸せな気持ちになるという経験はしたことがあるだろう。

この行為に「自分」は存在していない。相手のことしか考えていないだろう。

これが自我が消えた状態だ。

自分の欲求だけを求めていては幸福感は少ないが、相手と共に作り上げる幸福はとても大きなもの与えてくれる。

 

愛とは決断すること。

 

「誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である」

 

結局運命なんてない、それは錯覚で、ふたりで作り上げた結果、運命という所にたどり着くだけだ。

だれでも人は愛することはできる、決断をすれば。

そこから二人の旅が始まる

本当の愛を探しに行く旅をしようではないか。

 

 

これは内容の一部です。

気になった方はぜひ読んでみてください。

 

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

 

 

 

 

 

「マリーゴールドホテルで会いましょう」 人生の真理が詰まった映画だった。

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あらすじ。

恋におちたシェイクスピア」のジョン・マッデン監督が、ジュディ・デンチビル・ナイマギー・スミストム・ウィルキンソンら豪華キャストを迎えて描く群像コメディドラマ。「神秘の国インドの高級リゾートホテルで、穏やかで心地よい日々を」という謳い文句と美しいガイド写真にひかれて、イギリスからインドにやって来た未亡人イブリンら、それぞれの事情を抱えた男女7人。しかし、彼らを待ち受けていたのは「近いうちに豪華になる予定」というオンボロのホテルと刺激的すぎる異国の文化だった。

 

 

人生の終わりを迎える時間が近づいてきた老人たちが異国のインドで生活をするにつれて変化が訪れる話であった。

 

年齢を重ねてきていろんな問題や、考えを抱え、その数はどんどん増えていく。

年を重ねるということは背負うことも多くなるということだ。

そして触れるものが限られてくる。その限られた環境に置かれれば人間はその範囲の中だけの考えや、自分だけの哲学に勝手に染まっていく。

だがどんな年齢になっても環境を変えれば人間は変化することができる。

「自分が変わりたければ、環境を変える。」これは心理である。

人は環境に適応する生き物である。

 

年齢に対して積み重ねられた経験や考えを持った上でインドに行きこの老人たちは息を吹き返したように変化が訪れる。

それは周りの人にも影響する。

 

インド人のただ目の前にあることだけをして生活する、他はなんにも考えないという感じがいい。

目の前のことを集中してやり遂げることは今の時代難しいことになっていると思う。

だからこそ日々の1日を大切に生きぬことこそ今求められていることだろう。

 

この映画の中に出てきた素敵な言葉を紹介しよう。

本当の失敗とはやらないでおくこと。

喜びは失望を振り払って手に入れる。

 

 

 

映画のホテルの若い管理人の親は金持ちで、ホテルを取り壊して一緒に実家にもどり

親が用意した嫁さんと安泰に暮らそうと言われる、でも彼はそれは選択しなかった。

本当に僕に残されたのは成功しなかったこと。と彼は言った。

そして彼は挑戦を選んだ。

人生は自分の選択した事で自分が満足する結果を得ることによってこそ幸せが作られる。

他人が作ったルートではなんにも面白くない。

だからこそ挑戦することが必要だ。失敗するかもしれないからなんて関係ない。

まずは挑戦する話はそれからだ。

 

リスクを嫌って冒険を避ける者は、何も得ない。

人が恐れるのは現在そのままの未来。だから変化を喜ぶ。

 

 

 

自分で掴む人生を選ぶならそれにはリスクがつきものである。

冒険を選ぶなら危険はそこら中に眠っている。

リスクと共に歩んでいかなければならない。

変化がが欲しければ常に前を向いて進んでいく。

 

 

人生に悲歌する必要はない。人生は常に挑戦である。挑戦という気持ちを持つことが必要だろ。

 

自分の人生を生きたい人はぜひ見てほしい。