思想の備忘録

農業のこと、本のこと、思想のことなどなど

自由は本当に良いものなのか

自由とは誰でも欲しいものです。

嫌な会社に行くのではなくて1ヶ月くらい海外に行ってパーットしたい、通勤の電車から降りずにこのままどっかに行ってしまいたい。

そう思う人は多いはずです。

 

自由とは人間の本能です。

しかし、自由があまりにもありすぎると人間は自由を持て余してしまいます。

学生の頃は何か自由をもて余すことはなかったが、社会人になり休みが一週間くらいあると何をしたらいいのかわからないそんな状況があるでしょう。

 

普段から会社に通っているとそれが当たり前で、会社がないという生活にシフトするのはなかなか難しくなっていきます。

会社が生活を支えてくれているから会社がなくなってしまうと、何をしたらいいのかわからない、これからどうしていけばいいのか?という状況になります。

だから一つのものに依存するのは危ないです。

 

いろんなことをやっていて、いろんな依存先があってそれで自由と言えるでしょう。

自由とは何か一つを信じることでは成し遂げられないものなのかもしれません。

 

小説「罪と罰」の著者であるドストイエフスキーは「人間という哀れな動物は、もって生まれた自由の賜物を、できるだけ早く、ゆずり渡せる相手をみつけたいという、強い願いだけしかもっていない」と言っています。

 

この意味をなんとなくわかる人と、何言ってんだ自由があればなんでもできるじゃないかと思う人に分かれると思います。

 

 

 

ナチズムはなぜ起きたのか?

 

ドイツのヒトラーという人物の名前を聞いたことがある人は多いでしょう。

 

そのヒトラーが独裁政治でドイツを率いてたくさんの人を殺しました。

これからも絶対起こしてはいけないことです。

なぜこんな痛ましい事件を起こすほどに国民はコントロールされてしまったのでしょうか?

 

まず、ナチが台頭して来た時代のドイツは戦争に負け、経済的にも行き詰まり、君主制も崩壊したという最悪の時代でした。

国民が今まで信じて来たものなどが一気に崩れおちます。

これから何を信じて生きていけばいいのかという状況になりました。

 

この状況こそが自由の重さという考えに繋がります。

誰か、何かを信じていたがそれがなくなった、だから次の何かを探そうという考えになるのです。

自分で自分をコントロールすることが難しいのが人間なのです。

何かを信じていたいのが人間です。

 

そんな状況にヒトラーが出て来て国民がコントロールしていったのです。

普通の人があんなひどいことをするまでにコントロールされてしまいます。

何か一つに依存するというのはとても危険なことです。

誰かあの人の言うことしか聞かないとか、何か一つの情報に頼るだけだだと危険と言えるでしょう。

 

雑誌だって、広告だってあなたはこんな生活をしてみませんか?という一種のコントロールです。

自分が欲しいと思ったものなのか、企業から広告されて欲しくなったものか分からなくなってしまうのが現代です。

街には欲望をコントロールするものが溢れすぎています。

 

こんな時代だからこそ自分は何ががしたいのか、何が欲しいのか、など人生に対する問いを持つことがかなり重要な時代はないのかもしれません。

 

生きがいとは?

 

フロムにとって人生の意味とは、生きる行為そのものであることをみとめることだと言います。

 

フロムは資本主義社会にどっぷりと浸かった社会では人格の努力や結果が、金や特権や権力のために売ることのできる商品と考えられてしまう、こうして、重点は創造的行爲の現存の満足ではなく、完成された生産品の価値に置かれると言っています。

 

結局、現代人は生きる行為全てがお金に変換できることが苦しめているのかもしれません。

勉強することで将来安定した職につける、プログラミングができればお金を稼げるかも、バイトを頑張ればお金が手に入る、などなど生きる行為そのものが損得で考えてしまいます。

 

しかし、行為には目を向けられず楽しむ事もなく、結果だけ、作った商品だけを資本主義社会ではみんなが判断します。

そこには自分の意思関係なく周りから値段をつけられ、嫌なことも言われ、商品となります。

 

結果も大切ですが、作る行為そのものを楽しむとても大事なことなのです。

やはり自分が好きなことをしているのが一番の生きていることです。

作る、やっていて楽しいことこそが自分が極める道、生きがいにつながるのでしょう。

 

 

新しい自由とは。

 

自由といっても内容は変わってきています。

中世の人々に自由という考えもなく職業は生まれた時点で決められており、孤独や不安なども感じることはありませんでした。

それはなぜか。

生まれた時点で職業が決められており、自分の職業と生まれた階級というコミュニティの中で生活すればよかったからです。

 

しかし、個人的な自由は存在しませんでした。

そこから人々は時代が変わっていく中で自由になっていきました。

だけども、自由に職業が決めれるようになり生活がしやすくもなりましたが、孤独や不安なども感じるようになっていきます。

 

資本の力でのし上がることができ、格差というものが見えるようになり、人々は努力して仕事を資本主義社会に評価してもらえるようにしなければなりません。

そこには仲間という概念ではなく、皆一人だとの考えが出てきます。

 

フロムはこういっています、「新しい自由は必然的に、動揺、無力、孤独、不安の感情を生みだす。もし個人がうまく活動しようと思えば、このような感情をやわらげなければならないのである。

 

近代はこのように孤独や、孤立、不安などを感じさせる要因がたくさんあるのです。

皆が抱えている思いを和らげるコミニティや生き方をこれから誰もが考えていく必要があるのではないでしょうか。

 

資本主義にどっぷりと浸かった生き方からのシフトが大切になっていきます。

ましてや日本は給料も安く、拘束時間も長い仕事が多いでしょう。

そこで生まれているのは自分の時間、家族と過ごす時間、など多くのものを失いながら疲弊した時間を過ごしています。

時間も失い、金も失い、じゃあ何が手元に残っているのでしょうか?

みんなが時間を大切に、何をして生きるのか、何を成し遂げたいのかなどを考えることがこれから大切になる時代です。

 

 

 

なぜ「不倫ネタ」が人気で、芸能人を叩く人が多くなったのか?

今世間を賑わせている「不倫ネタ」や「芸能人ネタ」。

一般人から注目を集め、バッシングを浴びせる人がとても多いです。

国民総バッシング時代」とも言えます。

 

なぜ今こんなにもバッシングが増え、不寛容になっているのでしょうか?

そもそも不寛容さは「現代の病理」なのでしょうか?

 

その答えが中野信子著「シャーデンフロイデ」に書いてあります。

なぜこんな現象が起きているのかを知るには、オキシトシンという成分、日本の国民性などが関係しています。

 

オキシトシンとは人間にどんな影響を与えるのか?

 

オキシトシンは「愛と絆のホルモン」とも呼ばれ、大きく二つの効果があります。

「安らぎと癒し」、「愛と絆」です。

 

ある実験では、抱きしめたり、撫でる、優しくするなどの行為を幼少期の子供にかけずに育てられた場合は半数以上の子供が成人になるまでに亡くなっています。

その他にも男女の仲にも大きく関係しており、オキシトシンが性行為中に分泌され、女性は子宮頸部の刺激によってオキシトシンが分泌され、性行為を行なった男性に愛情を抱きやすいことが分かっています。

 

このようにオキシトシンの働きは人間の行動を左右する大切な成分です。

人間はオキシトシンに動かされているとも言えます。

 

シャーデンフロイデとは?

 

この本の題名にもなっている「シャーデンフロイデ」とは妬み、他人を引きずり下ろして喜ぶ感情のことです。

 

シャーデンフロイデ」になっている人が多いのが今の日本です。

この感情を引き起こす原因がオキシトシンにはあります。

実は愛と絆を強めるオキシトシンの分泌量が多くなると、自分たち以外の集団に対するバイアスが強くなることがわかっています。

 

オキシトシンは良い効果もありますが、悪い効果もあるのです。

 

例えば、夫婦は浮気しないものだという前提があり、「不倫ネタ」などは一般の夫婦のルールを破った者として大きく批判を浴びます。

自分たちの「愛と絆」を破る他の集団に対してとても批判的になり、不寛容になるのです。

 

感情を大きく左右するオキシトシンは妬みの感情も引き起こすのです。

 

 いじめが起きやすい環境とは?

 

いじめが起きやすい環境は普通に考えると「いじめはダメだ」というルールを決めることでいじめが少なくなると思いますが、

実はそのようにルールを決めることで逆にいじめが起きやすくなります。

なぜルールを決めるといじめが起きやすくなるのか?

 

「いじめをしない」というルールを破った者は排除されることになり、破った者はいじめても良いと考えるからです。

 

夫婦の間でもルールが多いほど離婚しやすくなります。

このようにルールを決めることで、ルールを破った人を攻撃しやすい環境を生み出すのです。

 

日本人は絆やルールに動かされることが得意な人種です。

そのことが今の「不寛容さ」を生み出す一因になっているのです。

 

 

日本人は自分で意識決定するのが苦手な人種

 

日本人は個人で意思決定をすることが苦手な人種と言えます。

それはこれまで歩んできた歴史が関係しているのです。

 

日本はほとんどが農民として米作をしていて、米を中心にこれまで日本人は生活してきました。

米を収穫するには、個人だけでは難しく、集団との協調が大切でした。

集団からはみ出してしまうのは昔の人は死を意味すると言っても過言ではなかったのでしょう。

 

現代生きている日本人は、集団との協調性を保ちながら生き延びることができた人間とも言えます。

 

だから日本人は協調性という性格を持ち、「空気を読んで行動する」ことが強く求められるのです。

 

その遺伝的な性格が脈々と受け継がれ今の日本を作ってきました。

過労自殺や就活で自殺してしまうのはこの辺が関わってきているのかもしれません。

集団から受け入れられることがとても大切なので、誰にも受けられないというのは日本人としては死を意味してしまうのかもしれません。

 

協調性の高い人は、集団全体の利益、つまり公共性やフェアであることを重んじるため、不正に利益を得ようとしている相手を許すことができず、「自分が損をしても一矢報いなければ」という行動をとる傾向がある、ということになるでしょう

 

 協調性の裏には攻撃性も眠っているのです。

 

 

このように現代の病理として描かれている「不寛容性」は実は昔からあったことなのです。

日本人の性格には「不寛容性」、「バッシング」というのはつきものなのです。

 

インターネットが発達したことで人々の声が届きやすくなり日本人の性格が露わになっているのが今の問題に繋がっています。

この問題は解決することは難しく、暴走は止められないのかもしれません。

 

私たちは「バッシング」や「いじめ」は日本人には馴染みの問題ということを意識しないといけません。

誰でも被害者になり当事者になりやすいのです。

 

 

「日本再興戦略」を読んで。

今話題になっている人物の落合陽一さんの新しい本が発売された。

newspicksなどで落合さんのライブ放送などを見ていると半端ない知識と言葉で、視聴者を惹きつけ、幅広い知識のつながりを見せ圧倒させます。

 

今回のこの本には今まで落合さんが語っていたことが分かり易い言葉で書かれていて、これからの日本はどうすればいいのかを知ることができます。

 

ぜひ皆さんも一度は読んでほしい本です。

 

平成という時代に終わりを見せようとしている今、これまでの日本の歴史やどうやって発展してきたのかを振り返ることはとても大切で、これからどのような日本の道筋を歩めばいいのかを考えることにも繋がります。

 

だからこのタイミングでこの本を読むことは意味があるのです。

 

 

まず日本には「近代個人主義」が合わなかったということが大きいと言います。

日本の近代化とは西洋を真似ることでしたが、その思想の根底には二分化して物事を考えることがあります。

 

例えば、幸せと幸福、良いと悪い、などの考えがはっきりしています。

一神教である欧州は最強の個人になって神様に救われることが一番の目的になっているからこのような思想になるのです。

しかし、日本は八百万の神様が存在しています。

この神様しかいないなどは考えず、人それぞれの宗教観があります。

 

もともと日本人は幸福などは考えておらず、幸福という概念は明治時代に西洋から持ってこられたものです。

幸福など考えたこともない人間がいきなり、幸せはモノを買ったり、お金を儲けることが幸せなんだということを刷り込まれ信じこまされます。

 

それによって日本人の幸福感とは同じような感覚になっていきます。

そして高度経済成長に入っていきます。

 

落合さんは高度経済成長の正体とは「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」と言っています。

 

つまり、国民に均一な教育を与えた上で、住宅ローンにより家計のお金の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行い、新しい需要を喚起していくという戦略です。

 

やはりマスメディアの影響が大きく、トレンディドラマに象徴されるようにあんな生活ができたら幸せという価値観が生まれてきます。

 

圧倒的に大きかったテレビというメディアによって国民は均一化していくのです。

それで需要が生まれ、あの高度経済成長が生まれていきました。

 

このようにみんなが同じような方向へと進んでいくことが正しいというのが日本の根底にはあるのだと思います。

だから出る釘は打たれ、集団の圧力は強くなります。

 

日本人は昔から個人という思想はなく、集団の中の一人でいることが合っています。

個人という考えは圧倒的に日本人には合わないのに、個人個人と言われ血迷っているのが今の現状だと思います。

 

もっと自然に生きて、自分探しなどするのもある程度は必要ですが、周りに流されて生きるのも必要だと思います。

誰かが言っていましたが、自分という人間を知るのは周りにいる人に聞いてみるのが一番いいのです。

 

 

今は、「人生百年時代」と言われ、「ワークライフバランス」などもよく聞く言葉になりました。

大人気の著書の「ライフシフト」に書かれていますね。

 

しかし、落合さんは「ワークアズライフ」の方が日本人には合っていると言います。

仕事と余暇を分けるのが「ワークライフバランス」です。

それも西洋の思想であるのです。

 

「ワークアズライフ」とは仕事も余暇も分けず、ストレスにならない仕事をするということです。

まさにユーチューバーのように生活が仕事になることです。

生きていることで価値を生む状態です。

 

 

僕は田舎で生まれ、一度都会に出て、田舎に戻った人間であるが、まさに田舎は「ワークアズライフ」だなと感じます。

農業をやっている人は明るくなったら畑に出て、暗くなったら帰るそんな生活です。

時間という概念はあまりないと言えます。

 

だから仕事と生活の区別がないからストレスも少ないと感じます。

生きること=働くこと(野菜を取る、タネを埋める)の状態です。

 

まあ田舎には都会のように遊ぶところもお酒を飲みに行くところが少ないのでこのようなライフスタイルになりがちですが、田舎と都会を経験した身からしたら田舎の方が圧倒的にストレスが少ないように思います。

 

落合さんはこれから「百姓の生き方」時代だとも言っています。

百姓とは百の仕事をするという意味です。

農業だけのことをいうのではありません。

 

色々な仕事をすることはどの仕事がダメになっても次があります。

今の時代どの仕事がなくなるかわかりません、だからこそ動き続けるのです。

そして仕事と仕事を掛け合わせることで自分なりのオリジナリティにもなると思います。

 

 

日本という国はこれから高齢化も迎え、どんどん落ちて行くように思うのかもしれませんがこの本にはそこまで悲観することもない未来が描かれています。

 

今この時代の変化している時期に変化をしないといけません。

チャンスをしっかりと掴むことが大切だと思います。

 

これからの日本を生きる人は必読です。

 

 

 

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

正田圭さんの本でファイナンスの基礎を勉強しよう。

 

ビジネスの世界で戦うのならファイナンスから始めなさい

ビジネスの世界で戦うのならファイナンスから始めなさい

 

 

 

正田圭さんは15歳で起業し、19歳で会社を売り、その利益で22歳で年商35億の会社を作りあげたとんでもない人物だ。

 

まあこういう人物を天才と呼ぶのだろうが、いろんなインタビューを読んでみると15歳で起業し、詐欺師にも騙され、資金が尽きそうになるまでいくなど数々の失敗をしている。

 

その経験から生み出された知識はとても参考になる。

ファイナンスと聞くと数字が苦手だからできないと思うがこの本「ビジネスの世界で戦うのならファイナンスから始めなさい」では数字はあまり出てこなく、難しい言葉も使われることなく書かれている。

 

正田圭さんはこう言っている。

 

私は、ビジネスの世界で生きていくなら、ファイナンスの習得は必要不可欠なものであり、今後ますますファイナンスを理解する意義は大きくなっていくと考えています。  わが子に小さいうちから学ばせたいものとして、よくプログラミングや英語などが挙げられますが、私ならどれか一つと言われれば、迷わずファイナンスを選びます。

 

これから起業をしようと考えている人、世の中はどうやって動いているのか、などを知りたい人はこの本は参考になると思う。

 

 

ファイナンスとは何か?

 

ファイナンスを聞くと財務や、数字を見て考えることなどを想像するかもしれないが、全く違う。

ファイナンスとは「物の値段を考えること」です。

 

ファイナンスとはノウハウでもなく特殊スキルでもなく教養であり、お金という枠組みで思考するためのフレームワークであるということなのです。

 

 このように勉強するだけでは身につけることができないのです。

経験して、学んで、使うことで磨かれていく能力です。

だから若いうちから実際に経験することが大切です。

 

著者はこう言っています。

私は、ビジネスの世界で生きていくなら、ファイナンスの習得は必要不可欠なものであり、今後ますますファイナンスを理解する意義は大きくなっていくと考えています。  わが子に小さいうちから学ばせたいものとして、よくプログラミングや英語などが挙げられますが、私ならどれか一つと言われれば、迷わずファイナンスを選びます。

 

ビジネスをするにはまずはお金のことを一番に考えなくてはいけません。

きちんとお金のことを知っていることが必要な能力になります。

勉強で身につけることができないこそ、ファイナンスを使いこなせる人材はとても貴重で現代にはとても少ない人材となっています。

 

 

数字では見えない部分を価値付けをする

ここ20年の間にM&Aのボリュームは約10倍になっています。

なぜこんなにも増えているのかというと、企業の事業の優位性が保てる時間が少なくなってきているために、ポジションを次から次へと取らなければいけない状況になっています。だから企業を買収しポジションごと買ってしまおうという考えになっているのです。

 

21世紀の前半で急速に成長している企業は全て、M&Aで成長しているのです。  みなさんが事業家として、企業のトップに求められている技術の最終形は、このようなM&Aを行うためのファイナンスの技術なので

 

M&Aをするには企業に値段をつけないといけません。

それにはファイナンスという教養があり、ノウハウがその企業が持っているかが鍵になります。

 

なぜ経営者がM&Aをするのかという最大の理由は経営者の能力を示すためです。

M&Aは誰にでもできますが、成功させることは難しいからです。

 

ソフトバンク孫正義も最初にボーダフォンM&Aを成功させたことで今のソフトバンクの地位を作り、孫正義という人物も有名な経営者の一員になりました。

 

リーマンショックは誰も悪くはない

 

なぜリーマンショックは起きたのでしょうか?

そして誰が悪者だったのでしょうか?

筆者は誰も悪くはなかったと言っています。

 

リーマン・ショックが起きたときも、投資家の多くが「デリバティブという手法でリスクを分散させているから大丈夫だ」と言っていましたが、これについても、後にバイアスだったことが証明されています。  こういう先入観が市場参加者たちの間に蔓延し始めると、バイアスを信じた投資家たちが資金を投入し、次第にマーケットが膨張していきます。要するに、バブル様相が作られていくのです。

 

頭のいい人たちが考えていても適正な予測をすることは難しいのです。

この事件でサブプライムローン証券化するという考えは自体は良く、個別に経済活動を見ても悪いところは見当たらなかったそうです。

 

このように経済はとても不確実性が高い物です。

そもそも株価と物の適正な値段の正解はなく、設定することは不可能なのです。

 

だからこそファイナンスの世界には儲けることができ、チャンスがあるのです。

リーマンショックでさえ誰も予想することができなかったのですから、普通の人に株価など上がったり下がったり予想することは不可能に近く誰も予想することは難しい。

 

 

ファイナンスの知識はこれからさらに重要になってくるのでしょう。

いろんな能力も必要になりますが、きちんとファイナンスの知識を身につける意識を持って仕事をするのも大切です。

「論語と算盤」 今の日本人に必要なのはこの本だ。

渋沢栄一という人物はご存知だろうか?

誰でも一度は耳にしたことがある人物であろう。

この人は「日本資本主義の父」と呼ばれており、日経新聞サッポロビールみずほ銀行、帝国ホテル、明治神宮など設立に関わった会社は約470社、500以上の慈善事業にも関わっています。

 

渋沢栄一が明治時代から新たに日本を作り上げた人物だと言ってもよいでしょう。

外国がどんどん経済的に強くなってくる中で、日本も経済を強くしなくてはいけないと考え、経済を回しながらも、資本主義が利益重視になって暴走してしまうことも考えながらどうやって暴走を止めながら社会を良くすることができるのかを実行しました。

 

平成の時代も終わりを迎えようとしている今、

世界一の経済大国まで成長した日本ですが、現在は先進国と呼べるかどうかもわからない状況になっています。

我々は一度この状況を振り返ることが必要な時期に差し掛かっているのでしょう。

大きく変化を迎える現代にこれから何が必要なのかを考えなければいけません。

 

論語と算盤」はその名の通り中国の「論語」を中心にしながら、経済と道徳について書かれています。

その内容には今の日本を予言しているかのような言葉や、社会で良く生きるとはどういうことなのか誰もが一度は読むべき本だと感じます。

日本ハムファイターズの選手は「論語と算盤」を入団したら必ず読まされるそうです。

あの大谷選手も読んでいます。

 

その中から気になった言葉を選んで紹介します。

 

豊かさと地位とは「人類の性欲」とでもいうべきものだが、初めから道徳や社会正義の考え方がない者に向かって、利益追求の学問を教えてしまえば、薪に油を注いでその性欲を煽るようなもの。結果は初めからわかっていたのだ

 

まさに今の日本の状況を言い表しているようです。

現代は資本主義が暴走しており、この状況を止めることは難しいのかもしれません。

その原因はひたすら金儲けだけに人々は駆り立てられ、道徳などの教育はおろそかにされている。

金こそが正義という思想しかないのです。

 

金が金を生むのが資本主義の特性なので、金さえあれば勝つことができるのです。

そこが暴走の一員になります。

そのことに初めから気づいていた渋沢栄一は素晴らしい人物です。

 

しかし、仮想通貨や、ベーシックインカムなどの言葉が出てくるように経済はとても多様化してきています。

そこでお金という影響力が弱くなってきているので、次の時代は社会正義や道徳など人間性という部分が大きな力になるのではないかと思います。

 

どのような人間なのかが大切だからこそ、社会で必要なものとは、道徳などの勉強がこれまで以上に大切になるのではないでしょうか。

 

 

どうも物質文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。わたしは常に、精神の向上を、富の増大とともに進めることが必要であると信じている。人はこの点から考えて、強い信仰を持たなければならない。

 
明治時代の頃には日本人の信仰が弱くなっていると渋沢栄一は感じていたようです。
経済が進んでいくことで、精神的な部分はおろそかになることを見抜いていたのです。
経済に侵されないためには信仰が必要になります。
 
現代で信仰など泥臭いことは嫌われるかもしれませんが、しっかりと土台を持つことが必要になるのです。
どのような人間かということは、自分の考えを持つことに繋がります。
 
 

結局、道徳の根本に関していうなら、昔の聖人や賢人の説いた道徳というものは、科学の進歩によって物事が変化するようには、おそらく変化しないに違いないと思うのである

 

論語」は中国で生まれ、孔子が作りました。

中国3000年の歴史と言われ、いろんな戦いなど経た中で生まれたのが「論語」です。

歴史の中で生まれた言葉は現代にも遜色なく、社会で生きていくのに必要なエッセンスがぎっしり詰まっています。

 

渋沢栄一も社会で必要なことは「論語」に書いてあると言っています。

 

道徳、人間の本質はすぐに変わるものではなく、時代を経ても受け継がれるものなのです。

だからこそ昔の人が言っていることは大切にしなければなりません。

生きるために必要なことは昔の誰かが言っています。

 

 

一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものなのだ。ところがこの泡に憧れて、目の前の成功や失敗しか論ぜられない者が多いようでは、国家の発達や成長が思いやられる。なるべくそのような浅はかな考えは一掃して、社会を生きるうえで中身のある生活をするのがよい

 

成功者の声が大きく聞こえる現代で、多くの人は成功に駆り立てられています。

憧れるあまり毎日の生活はおろそかになりがちです。

しかし、失敗や成功などは気にすることは浅はかだと言っています。

 

結果を見ているだけでは豊かな生活は送ることはできないということでしょう。

成功や失敗を超えて歩む人生を選びたいものです。

 

 

 

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

 

「弱者の戦略」 動物にとって強さとは何か?

人間は努力をすればいつか夢は叶い、何倍も努力をすれば強者に勝つことができると考えてしまう。

しかしそれは本当だろうか?

 

 

私たち人間は、頭が良すぎるのだろうか。ときに迷い、ときに悩む。そして考えすぎたあげく結局は間違えた道を選ぶことが少なくない。それに比べて、私たちよりずっと下等に思える生物は、その生き方を見れば確かな答えを持っている。

 

 

 

動物の世界は弱肉強食の世界だ。

弱いものは食われて終わる。

 

 

だからこそ生存をかけて弱い生物は考えていろんな戦略をとってきた。

 

戦略とは漢字の通り、戦いを略すという意味である。

戦うことなく、自分が生き残れる場所を見つけるということが戦略である。

 

動物の世界には弱い人間が生き残るにはなどを考えるヒントがたくさんある。

 

 

 

強さとは何か?

 

動物の世界では最強と言われる肉食のライオンがいる。

ライオンはシマウマなどを食べながら生存している。

しかしライオンは絶滅しそうというのを聞くが、シマウマが絶滅するなど聞いたことがない。

 

それはなぜなのだろうか?

結局はライオンはシマウマに依存して生きていると言える。

 

他者に勝つことだけが「強さ」ということではないのだ。

単純に相手よりも強いだけでは動物の世界では生きてはいけない。

そして他者に勝つために努力するということも意味をなさない。

 

 

弱者は複雑に、強者は単純に

 

弱者は強者にすぐに食べ物にされてしまう。

だからこそ、数が必要になる。

シマウマなども弱いので数が多い。

 

イワシなどもたくさんの数が群れをなして、大きい魚に食べられないようにしている。

数が多いだけでなくてたくさんのオプションを用意しており、変化に強いのも弱者の動物の特徴である。

 

畑などに農薬を撒くことで、逆に昆虫が集まってくるという現象がある。

これは農薬を撒くことで、いろんな昆虫が死ぬことで、その場所を狙って他の昆虫が集まるということだ。

弱者にとって、チャンスは恵まれているところにあるのではなく、少し条件の悪いところにこそチャンスがあるのだ。

 

安定した環境で弱者が勝ちに行くことは難しいが、変化のある不安定な環境の方が、多くの弱者にとってチャンスがある。

劣悪な環境はどんな生物にとっても嫌なものであるが、弱者にとっては、強者に対抗して勝者になれるチャンスであるのだ。

 

 

動物の戦略に中間はない。

 

動物の大きさは中間に位置している動物は少ない。

「大きい」か「小さい」かの二択が多い。

中途半端な位置にいる生物はすぐに食べられ絶滅してまう。

 

ゾウアザラシはオスとメスの体格差がとても大きい。

体の小さいオスはなんと、なんとメスになりすましてハーレムの中に忍び込み、子孫を残すのだという。

 

つまり「大きいこと」が勝ち残るための戦略であるのと同じように、「小さいこと」もまた、有効な戦略なのである。そして、平均であるはずの中間的な個体は戦略的に中途半端で子孫を残すことができないのである。

 

生物は生存競争があまりにも激しいのでいろんな戦略を考えながら生きてきた。

その中には弱い人間が生き残るにはどうしたらいいのか考えるヒントが隠されている。

ただ努力すれば勝てるという甘い考え方を捨てて、どうやって戦わずして勝つかを考えることが必要である。

 

今は時代が大きく変化している。

平成も終わりに近づいている。

この変化の時代、悲観的になって何も行動を起こさないのはとても勿体無い。

弱者は不安定な環境でこそ強者に勝てる。

 

さあどんな戦略をとろうか。

 

 

  

弱者の戦略 (新潮選書)

弱者の戦略 (新潮選書)

 

 

日本人はいつから働きすぎになったのか 

過労死・過労自殺・働きすぎ。

最近になりこの言葉を多く聞くようになった。

なぜ日本人は働きすぎてしまうのか。

 

そこには日本人の「勤勉性」という思想・哲学が大きくあることが問題である。

 

著者も言っているが、なぜ「勤勉」ではないといけないのか、なぜ「怠惰」ではいけないのか?

まずはこの根本の部分を疑う必要が大きくあるのだ。

 

現代の日本人は「生活」があるのだろうか?私たちは「生存」しているだけではないだろうか?

 

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明治時代から今年で150年経ったが、今の日本は先進国とは言えない状況になっている。

日本的な働き方の限界まで来ていると言える。

 

 

一度きちんと自分の働き方を見て、これは間違いじゃないかと一度立ち止まる機会にこの本を紹介したい。

 

 

 

 

 

 

 資本主義の正義=勤勉性

 

資本主義は勤勉に働くことが一番大切だと言って来た。

 

経済学者のウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の有名な著書があるが、その中でウェーバーが言っているのは簡単に言えば、プロテスタントの節約、禁欲が資本主義を成長させたということだ。

 

すなわち、ウェーバーが16、17世紀における西ヨーロッパのプロテスタントに見出した「資本主義の精神」とは、言って見れば、「怠惰」をゆるさない思想であった。すなわち、怠惰を排除して、「勤勉」を強いる思想である。

 

この勤勉こそ正義というのが資本主義の精神であるのだ。

だからこそ、勤勉に働いていれば良いし、正解なのだからみな一生懸命に働く。

 

 

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二宮尊徳という人物がいる。

日本人なら皆知っているだろう。

本を読みながら歩いている像を頭に浮かべることだろう。

 

この人物は親を亡くし、若い時から苦労して畑を耕し、働いていた。

そして村をよくするために農民たちと協力して農作物を作った。

尊徳はいろんな住民のモチベーションを与えてうまく働かせることがうまく、村人を勤勉にさせることに期待していたような人物だった。

 

尊徳は明治政府が国民たちを勤勉にするために利用された人物でもある。

 

この時代は、急速な近代化の中で、日本という国家について、あるいは日本国民という存在について、アイデンティティの危機が生じていた時期であった。

 

二宮尊徳が評価されたのは、第一に、本人が「勤勉」であったこと、そして「勤勉」を説いていたことであった。近代の資本主義社会では、封健社会以上に、「勤勉」が重視される。

 

このように尊徳を利用して、国民たちを勤勉にさせるのが目的だったのだ。

 

内村艦三が「信仰を経済に応用したのである」と言っているがまさにそうなのである。

 

農民たちはのんびりと農業に励んでいたが、この明治政府によって新たな「勤勉」というイデオロギーによって必死に働かざるを得なくなってしまったのだ。

 

日本的経営とは従業員の「参加意識」である

 

高度経済成長に入り日本はさらに従業員の意識を高めるために日本的経営を作り出した。

それは終身雇用、年功序列企業別組合という仕組みだ。

この仕組みで日本は先進国まで登りつめた。

 

 

この仕組みは日本独自の素晴らしい仕組みだと思われるかもしれないが、本質は従業員を勤勉に働かせるための仕組みだというところだ。

 

日本には「シューカツ」というのがあるがそこでよく聞かれる個性という言葉。

その個性とはなんなのか?

それは企業に絡めとられる「個性」である。

 

さて、企業が労働者に求める「自発性」とは、基本的には、自立した個人に期待される、文字どおりの自発性である。

一方で、そうした「自発性」は、あくまでも企業から求められる「自発性」であって、いわば、企業のための「自発性」、あるいは、企業に絡めとられる「自発性」である。ということであれば、やはりこれは、真に自立した個人によって発揮される「自発性」だとは言いがたい。

 

このように著者は絡めとられる「自発性」だといっている。

そして真の自立した個性にはなれないのだと。

 

結局は過労死などは会社から労働しろと言われるがそれだけでは自殺まで追い込まれることはない、他の人からしたら逃げ出せばいいのにと思われるが、結局自殺に踏み出してしまう人は自発的に忠誠を尽くしてしまうのだ。

 

最後は個人の意思までもが企業に絡めとられてしまうのだ。

 

合理的非合理という考え

 

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今までの日本は「勤勉性」に大きく支えられていた。

これこそが日本を大きくした。

 

しかし、その「勤勉性」を支えているものは、結局はなんなのか考えたことがあるのだろうか?

それは明治時代から作られた考えであり、イデオロギーであり、「非合理的」な考えなのである。

 

ウェーバーのいう「資本主義の精神」を支えていたのは、カルヴァニズムという「非合理的」な宗教であった。

同様に、江戸期における日本人の「勤勉性」を支えていたのも、浄土真宗という「非合理的」な宗教であった。

明治期においては、日本人の勤勉性を支えるものは、ある面においては「修身」というイデオロギー教育であり、また他も面においては、「生存競争」という現実であった。

それらを支えていたのは、いずれも、「非合理的」なものであった。

 

「勤勉性」とは「数百年間の特徴」でしかないのだ。

 

だからこれからはなぜ「怠惰」ではいけないのか?

「怠ける」哲学を持つことが必要になる。

 

その「怠けた」時間こそが新たな自分を作り出す時間となる。

これから人生100年時代に突入し、日本的な働き方はどんどん変わってきて、新たな学びという要素がとても重要になる。

 

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉があるがそのくらいの態度で人生を生きるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

あなたはもっと「怠ける」ことが必要である。