休むことは動かないことではない。

 

現代の中で休息はとても大切になってきています。

情報化が進む中で、一日中スマホに目を向け、パソコンに向かい続けている現代人の休息はしっかり考えなければ体が壊れてしまいます。

 

実は寝るだけでは体は整うことはありません。

長い時間寝るというのも間違っています。

睡眠時間は7時間が人間にとってちょうどいいんです。

寝すぎると糖尿病のリスクが上がることもあります。

 

 

日本人はずっと働いていると海外の人から見ても言われています。

しかし、こう考えてみてもいいかもしれません。

「不器用な欧米人は一か月バカンスをとらないと休めない。でも器用な私たちは、忙しい一日の中に上手に休息を持てるはず。」

忙しい毎日の中で休むということを意識することで日々のパフォーマンスは変わっていきます。

 

休むことは動かないことではない。

 

多くの人が休むということを「寝ること」、「動かないこと」、「座ること」だ考えています。

しかしこれは間違っています。

 

一日の終わりに家に帰ると意識もせずに、テレビをつけ、ソファーに座ることをしてしまいます。座ると体が休むと考えてしまいますが、すぐに座ってしまうと体の血流が悪くなってしまいます。そして、「あれ、俺めちゃ疲れてるな」とさらに疲れがたまってしまうことになります。

「動かないことが休息なのではない」ということなのです。

 

寝ていてもいろんなことを考えていて、ストレスを抱えていても体は休むことがありません。

 

過剰なストレスがかかると、自律神経がしっかり機能しなくなり、さまざまな不調をきたします。

休むということを考えるときには、毎日の生活の中にいかにこの「ケロリ」を作りだすかが大事になってくるのです。

 

現代人の生活の中にはすぐに周りからいろんな情報が入り込みストレスを感じてしまうことが多いです。だからこそ、なにも考えない、しょーもないことをするということがかなり大切になります。なにもないということがとても重要で、それが休みに繋がるのです。

 

時間の考えを変える

アメリカの詩人カール・サンドバーグはこんなことを言っています。

 

「時間はあなたの人生の貨幣である。あなたが所有する唯一の貨幣であり、それをどう使うかを決められるのはあなただけだ。あなたの代わりに他人に使わせないように気をつけなければいけない」

 

時間はとても大切なもので、これを日々意識していないと自分の人生ではなく、人の人生になってしまいます。

 

休息ということも仕事が終わってするのではなく、仕事が始まる前に朝早く起きて自分んの好きなことをすると考えてもいいのかもしれません。

休息は「働いた後にとるもの」と思われますが、それでは充実した休息がとれません。

たまには早く寝て、早く起きて朝の静かな充実した時間を過ごすのもいいのかもしれません。

 

まとめ

休息は寝る以外にもいろんなところでできます。

現代人はいろんなストレスが襲ってきます。

なにもしない、意味がないこと、何も考えないということがこれまで以上に必要になってくると思います。

ストレスと上手く付き合っていきましょう。

 

自律神経が整えば休まなくても絶好調 (ベスト新書)

 

ユートピアを達成した現代になにが起こっているのか。

現代は中世の人びとが目指したユートピアにたどり着いていると言えます。

しかしどうでしょうか。幸福な世界が訪れているでしょうか。

格差はどんどん広がり、貧困に陥る人は増えています。経済の中間層もこれからは消え、ますますひどくなる言われています。

なぜ物が溢れ、生産性が良くなっているのに、人類には幸せが訪れておらず、問題ばかりなのでしょう。

 

 

産業革命以降の2世紀で、長く停滞していた世界経済は250倍、一人当たりの実質所得は10倍に増えており、60億人が携帯を持ち、寿命は100年も伸びています。(1)

 

 

世界が望んだ世界が来たが、幸せではない。

人間の進歩は一種の神話に過ぎないと誰かは言いましたが、

人間にとって前進することだけが正解ではないということでしょう。

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豊穣の地は資本主義だけでは成し遂げることはできない。

 

資本主義によって全世界がいひとつになり、様々なものが生み出され21世紀はとても豊かな世界になることができました。

しかし、資本主義という制度が疲弊してきており、それだけでは豊かになれないということに気づき始めています。

 

 

現在の先進工業国では、国の富のうち58%しか、給与として労働者に支払われてい居ません。なぜこのような事態になってしまったのか、それは仕事が機械に変わられ、限られた富裕層が圧倒的にお金を儲けているからです。(2)

 

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 若者のうつ病はこれからどんどん増えていく。

 

なぜうつ病が増えるのだろうか。

それは若者の未来が良くなるとは思えないからです。

先が不安だと心も病んでしまいます。

 

心の病気はどんどん少なくなり、精神医はいらなくなると言われていましたが、

WHOによると、現在、うつ病は10代の若者の最大の健康問題となっており、2030年には世界の病気の第一位になると言います。(3)

 

日本は平和でだれもが憧れる国と思われているが、先進国の中で自殺で命を絶つ人が多くいます。もうお金だけの面を見て対応するのを改める必要があります。

心と体を一番に考えないといけません。

目に見えることだけを求めていてはいけません。目に見えない部分も大切にしなければなりません。

 

「国民総生産(GNP)はあらゆるものを測定する。人生を価値あるものにするものにするものを除けば」とロバートケネディは言っています。 (4)

 

 

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 貧困は「人格の欠乏である」

 

貧困がなぜ悪なのか。それはお金がないからダメというわけではありません。

貧困は人間の判断を鈍らせるから悪なのです。

 

経済学者ジョセフ・ハンロンは言っています。「貧困とは、基本的に現金がないことだ。愚かだから貧困になったわけではない、靴をはいて立ち上がろうとしても、そもそも靴がなければ話にならない。」

イギリスの元首相マーガレットサッチャーはかつて貧困を「人格の欠落」と呼んだ。
「欠乏は人間を消耗させる、他にも等しく重要なことがあるのに、そちらに気持ちを向けられなくなる」(5)

 

 

AIが支配する世界にはベーシックインカムが必要になる

 

人口知能に関する本などを読んでみるとほとんどの人がベーシックインカムが必要になると言っています。

AIによって人間は仕事を奪われてしまいます。

だからほとんどの人は働きたくても働けない状況になってしまいます。

本当に一握りの何かに特化したプロフェッショナルしか生き残ることができなくなります。

そのような状況になると一般人はお金を稼ぐことができなくなります。

 

お金を配ると人間は怠惰になり、おかしくなってしまうと思われますが、

そんな心配は無用です。

 現金を無償で配るという実験で良い結果が表れているのです。

 

西ケニアの貧しい地域。その村の住人に500ポンドお金が配られた。
数か月後訪れてみると、お金がたくさん村には積まれていた。
しかしそれで誰も酒を買おうとはしなかったそのかわり、家は修繕され、小規模のビジネスが始まっていた。
2008年ウガンダ政府は、18歳から35歳の1万2000人におよそ、400ドルを与えることを決定した。すべては自由に使ってもいい。求められるのはビジネス計画を出すことだった。5年後、効果は脅威的だった。人々はそのお金を自らの教育やビジネスに投資し、結果として収入がおよそ50%増えた。雇用率も、60%超増えていた。(6)
 
お金があるということで目的が生まれ、選択肢が生まれるのです。
お金によって人は冷静に判断することができ、未来に使うことが多いということが分かっているのです。
 
 

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本当のユートピアは現れるのか?

 

哲学者バートランド・ラッセルはこう言っています。

「人間が幸せでいるためには、あれやこれやの楽しみばかりではなく、希望や冒険心や変化が必要だ、求めるべきは、完成したユートピアではなく、想像と希望が生きて動いている世界である」 (7)

 

人間が数字だけで考えた未来はうまくはいかないということではないでしょうか。

目に見えないことを大切にすることが大切になります。

数字のことなんて機械に任せて、人間は遊び、創造し、実験し、冒険をすることがこれからはますます必要になるでしょう。

 

 

 

 

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働

 

本書引用

(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、

 

 

 

 

 

暇と退屈の倫理学を読んで。

ラッセルはこう言っている。

「近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。」

これはどういう意味だろうか。

人類の歴史は血と涙の歴史だと言ってもいい。たくさんの犠牲を出し現代の平和が作られた。しかしどうだろうか。人類が目指して来た平和にたどり着いたにもかかわらずどこか幸せを感じられない。

 

そして21世紀は今までの世界の中で一番平和な時代と言えるだろう。しかしここに逆説がある。
それは人々が目指して来た豊かさが達成されると不幸が訪れる。

それはなぜか。達成されることで退屈な暇な世界が現れるのだ。

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退屈には3つ種類がある。

 

1.何かによって退屈させられること 受動的な退屈

2.何かに際して退屈すること 自分が退屈してしまう

3.なんとなく退屈

 

 

1.おもしろそうだと思った映画が退屈、仕事が退屈などなにかに退屈にさせられている状態のことを言う。

 

2.この退屈の状態はなにかに退屈させられているのではく、よくわからないのだがそこで自分が退屈してしまう。

 

3.このなんとなく退屈はどうしようもない。

この声を聞いてしまうとなにをしても太刀打ちすることはできない。

 

この3種類が存在している。

人間にとって一番やっかいなのが「なんとなく退屈だ」という声を聞いてしまうことが堪えられない。

退屈を紛らわそうと何かしようとしてもあまり効果がない。

これは時間が過ぎるのを待つしかないのかもしれない。

 

しかし、安心してほしい。退屈だと感じれることが正しくい生きれているということだ。

退屈があるということは自由があるということだ。自由があるということは決断できる余地がるということだ。

 

 

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人間にとって退屈とはどうゆうことだろう

 

人間だけに暇や退屈は存在している。動物はそのような感情はない。

人間の想像力という力によっていろいろな世界を感じ取ってしまう。

だが動物にはそんな力はない。

だから暇と退屈は人間にしかないものだ。

 

ハイデッガーは言っている。

「結局ある種の深い退屈が現存在の深淵において物言わぬ霧のように去来している」

 

退屈は人間に備え付けられているのだ。生きるということは退屈と上手く付き合うことが大切になる。

退屈があるということは正しい生き方である。退屈だからどうしたということだ。

退屈と暇に付け込んでくるのが文化産業である。

資本主義はかつては労働者を搾取していたが、今では労働者の休日を搾取している。

メディアやテレビなどが人々を煽り立て動かしている。自分の欲望ではなく、欲望を作り込むことが多くなっている。

自分からではなく、受動的な消費者になってしまう人を大量に作っている。

 

日本は終わっていると言われているが、長時間労働で搾取され、休日も文化産業に搾取される。ひどい状況になっているんだと思う。ほとんどが受け身だからどんどん身を削られていくことしかない。回復する時間さえもなにかに搾取されているのだから。

 

 

まとめ

誰でも体験したことのある退屈。これはなにも悪いということではない。

退屈するのが嫌だから人々はなにかの奴隷になりたがる。それは仕事であり、趣味であり、遊びである。でもそこにはなにかの退屈感が付きまとう。

人間は逃れることはできないのだ。

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

 

 

 

ルターは新しい宗教を作ろうとしたのだろうか。

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ルターという人物を知っているだろうか?

だれでも一度は耳にしたことがあるだろう。

 

日本の歴史の教科書にはルターがプロテスタントを生み出し、キリスト教を二分化したという説明が書かれている。

 

しかし、ルターは新しい宗教を作りだそうとしたわけではない。

この事実を知っている人は少ないだろう。

ではルターはなぜプロテスタントを生み出したのだろうか?

なにをしようとしたのか?

これを見ていきたい。

 

ルターは宗教改革がこんなにも広がるなんて考えてもいなかった。

 

ある書簡でルターはこのように書いている。

「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことではなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれを取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。

ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。

ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。

もしこれが、ここまで公になることがわかっていたなら、別な方法を選択するとか、もっと正確に書くとか、余計なことは書かなければよかったのです。」

 

キリスト教の改革を目指していたルターだがなぜか大きく広がった宗教の改革を喜んでいないように見える。

なぜこのように喜んでいないのだろうか。

 

それはルターは制度的に疲弊していたキリスト教を立て直す為に宗教改革をするのが一番の狙いだったからだ。

土台を根本的に変えるのではく、土台や大黒柱は残して、修繕が必要な所だけを新しくしようとしたのだ。

 

その当時、キリスト教は天国に行くためには教会を通じて、天国に行くためのチケットを買わなければいけなった。しかも聖書はラテン語で書かれており、一般市民は読むこともできなかった。

だから、ラテン語が読める上層の人間から天国に行くために必要な情報を受け取るしかなく、教会の言いなりにならなければいけなかった。

 

この制度におかしいと唱えたのがルターで、天国に行くのに必要なのは聖書に書いてあることを信じることだけで、天国のチケットを買わなければいけないのはおかしいと考えた。

 

ルターは、神が人間を救うという行為を人間はただ受け取るのであり、神がなすことを信頼するのが信仰だと考えたのである。それゆえ救われるためには人間の側の努力ではなく、「信仰のみ」が必要になるのだ。

 

印刷技術が発達するという偶然。

歴史が動くときは偶然という要素が大きく関わっている。

ルターが宗教改革を始める時代に偶然にも印刷技術が発達した。

それによってルターが教会に送った手紙がすぐさま一般市民にも広がった。

聖書もドイツ語に翻訳されることで一般市民も読めることになった。

この偶然が重なり大きく宗教改革は動くようになったのだ。

人間の歴史というのは偶然の力が大きい。

人間が作る歴史ではなく、なにか違う力が加わって作られるのかもしれない。

キリスト教を修繕しようという働きが、違う方向へと導かれていった。

 

プロテスタントとはなにか

 

プロテスタントには2つの動きがある。

1つは誠実なキリスト教を目指し、戦い、しっかりとした地位を勝ち取るという集団。

これは改革を経て自分たちが主流になることでそのポジションに座る。改革を目指していた集団が、改革に対して守りに入る。

 

2つ目はより新たなキリスト教を目指し、従来の改革に不満を持ち、改革をさらに推し進める集団。

 

自分たちが目指していた所にたどり着き、安定したポジションを勝ち取っても改革は終わりがない。

新しい集団が「君たちはおかしい、もっと変えなければならないと」言い出す人が出てきてさらに改革は進められる。

改革には終わりがないという事なのだろう。

 

宗教改革」は二つのプロテスタントを生み出した。

一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズムである。もう一つはそのような宗教改革の教会の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズムである。

 

プロテスタントは初めは改革の意味が強かったが、次第に保守的な意味に変わっていった。自分たちの伝統を守るために保守的になっていた。

 

新しい改革を目指し、ある程度改革が成功し、安定したポジションを手に入れることで、守りに入ってしまう。

新しいものを生み出し、そこで守りに入るとまた新たな動きが他に生まれる。

ルターは自分が考えてもいなかった方向へと導いた、彼は今のキリスト教を見てなにを思うのだろうか。

 

引用

 

 

睡眠を買えることが、幸福へのスタート

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人生の3分の1を占めていることはなんだろうか。

それは睡眠である。

睡眠は普段の生活と表裏一体の関係である。

睡眠の質が悪ければ、生活がおろそかになり、

生活がおろそかになれば、睡眠の質が悪くなる。

 

生活が多様化され、眠らない時代にいる現代人はきちんと睡眠は考えなければならない。

 

 

 

睡眠の質は最初の90分で決まる。

 

時間も大切だが、質がとても重要なのだ。

人間が寝ている時にはノンレム睡眠とレム睡眠を繰り返しているということは聞いたことがあるだろう、

 

どれだけ時間を寝ようとも、最初の90分が崩れてしまうとリズムが全て崩れてしまう。

いいリズムで寝るには最初の90分ですべてが決まるのだ、

だから、睡眠の最初の90分を制するものが、睡眠を制すると言える。

 

 

グロースホルモンは最初の90分に、80%近くは確保できる。

 

このホルモンは体の成長などに影響を与える。

寝ないと育たないと言われるが、このホルモンは最初の90分にほとんど分泌される。

 

 

 

 

最高の90分の睡眠をするにはどうすればいいのか。

 

一番のいい方法は規則正しく、就寝時間を決めることだが、

しかし、現代の人間には難しい。

 

忙しい現代人はぐっすり眠れる2つのスイッチを意識すればいい。

それは「体温」と「」だ。

 

質のいい睡眠は体温が下がる。

眠りに入る前には手足から熱放散が起こり、続いて深部体温の変化が起こる。

この状態を作ることが大切だ。

現代の人間はスマホや仕事などによって脳を興奮状態にしてしまう要素がたくさんある。

脳が興奮していると体温も下がりにくいのだ。

「脳」のスイッチを切るということを意識しないと最高の睡眠はとれない。

 

90分前のお風呂。

 

深部体温は上がった分だけ、大きく下がるお風呂に入るだけで、体温は0,5度は上がる。そのあと90分経つことで、深部の体温が下がり良い睡眠に入れる。

 

靴下をはいて寝てしまいうと熱を発散することができなくなってしまうので、靴下は脱いで寝るのがいい。

 

快適な室温を保つ。

暑すぎても、寒すぎてもだめ、適度な温度が大切。

 

睡眠と覚醒状態は表裏一体の関係である。

覚醒状態とは目を覚ましている時の状態のことである。

 

睡眠と覚醒はセットになっている。

朝起きてから眠るまでの行動習慣が最高の睡眠を作り出し、

最高の睡眠が最高のパフォーマンスを作り出すのだ。

これが、覚醒と睡眠の「好循環」である。

いい循環を意識することが大切なのだ。

 

覚醒のスイッチを入れるには

 

太陽の光を浴びる。

これで体は起きる。人間の体は光を浴びることで覚醒のスイッチが入れられる。

 

体温を上げる。

少しだけ上げることが必要。少しのジョギングなど。過度な運動は大きく体温を上げてしまい、眠りを促してしまう。

 

昼寝は時間は多すぎるといけない。たくさん寝てしまうと脳が覚醒状態なのに寝すぎるとおかしなことになってしまい、生活のリズムがおかしくなる。

20分くらいが目安だ。

 

睡眠は眠っている以外の人生においても「ギフト」なのだ

 

人生の3分の1が睡眠に費やされる。

だからしっかりとした質の睡眠を考えることは必要だろう。

日本人は世界的に見ても、睡眠時間が少なく、その中でストレスの溜まる長い仕事をしなければならない。それでは幸せな未来がこの国に訪れることはないと思う。

日本に遊びに来るのはいいが、住むのは地獄と誰かが言ったが。

睡眠という人間の基礎的な所から意識して変えていくことが、幸福のスタートなのかもしません。

 

 

引用

 

スタンフォード式 最高の睡眠

スタンフォード式 最高の睡眠

 

 

 

 

 

社会に出る前に知っておきたい日本社会の仕組み①

 

 

 

 

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これから社会に出ていく人に知ってもらいたい。

日本の社会の仕組み。

どうせこれから日本という荒波に流されるのだから、その波はどんなものなのか知っておく必要がある。

日本社会で勝ち上がりたいなら能力だけでは無理だ。人間関係、能力、運。このすべてがなければ勝ち上がることは難しい。

 

タテ社会の人間関係」を参考に考えていきたい。

これは社会に出る人には必須の教科書である。

 

 

 

 

国の社会構造その中でも個人と集団などの関係は時代が変わっても最も変わりにくい部分である。

目に見える、服や、食べ物など変わることはあるが、目に見えない人間の中身は変わることは難しい。

だからこの先日本の個人や集団の関係性もこれからもあまり変化はみられない。

目に見えない人間関係をこれから見ていく。

この目に見えないというのがやっかいなものだ、見えないから惑わされる。

だがこういうものがあるんだとわかっているだけで少しは余裕が生まれる。

 

「資格」と「場」による構成

国の集団の構成は「資格」と「場」に分けられる

 

「資格」

共通性。個人を他から区別する属性(氏、学歴、地位、職業、男、女、など)を使うことで集団が構成される場合。

 

「場」

共有性。地域や所属している場所のように、資格の違いをとわずに、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合。

 

国の中にはこの2つは存在しているが、社会の中で資格と場がどちらが強いのか、どんな状況で資格と場のどちらを優先するのかを見る。

 

場を強調する日本社会

日本はもちろん「場」による集団の構成が多く存在している。

 

はっきりいえることは、場、すなわち会社とか大学とかいう枠が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっていることであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくるということである。

 

なぜ日本は「場」がが支配しているのだろうろうか。

それは日本人が属している場所がすべてだという考えが大きいからだ。

 

「会社」は個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私のまたわれわれ会社であって主体化して認識されている

 

自分が属している場所がすべてであってそこがあってこその人生ということだ。

働く場所が人生の劇場であり、その劇場から外されてしまったらもう人生もないということになる。

だから就活に失敗して自殺、過労死などが存在するのだ。

日本を覆っている「場」による支配は人間関係などにウエイトが大きく、心理的な負担があまりにも大きすぎるように思う。

 

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「場」を維持するには

なにも持たない個人が集まり、「枠」の設定によって共通の場所を維持するには二つの方法がある。

 

1.枠内のメンバーに一体感をもたせる働き。

2.集団のメンバーを結ぶ内部構造を作り、それを強化する。

 

 

会社の理念などは様々ある。そのような道徳的な部分での共感を持たせることが会社の大きな役割である。

そして会社の中での人間関係を作る。メンバーになにか役割を与え責任を持たせることなどによって集団にとどまらせることができる。

「場」を維持するということは一種の宗教にならなければならいのだ。

 

資格の差別は理性的なものであるから、それを越えるために感情的なアプローチが行われる。この感情的アプローチの招来するものは、たえざる人間接触であり、これは往々にしてパーソナルなあらゆる分野に人間関係が侵入してくる可能性をもっている。 

 

外国のような「資格」によって成り立っている場合には仕事と割り切ってできるし、私生活との区別がしっかりとしている。

一緒に働く人がすべてであり、働く場所がすべてである。

感情で成り立っていて、仲間との絆でできているものだからこそ逃げ出すのは難しいし、私生活からすべてにおいて集団の力が入り込む。

 

エモーショナルな全面的な個々人の集団参加を基盤として強調され、また強要される集団の一体感というものは、それ自体閉ざされた世界を形成し、強い孤立性を結果するものである。ここに必然的に、家風とか社風とかいうものが熟成される。そして、これはまた、集団結束、一体感をもり立てる旗印となって強調され、いっそう集団化が促進される

 

自分が属している「場」の結束が強くなり、孤立化することによって「ウチ者」と「ヨソ者」の関係ができる。

「ウチ者」には優しく、「ヨソ者」にはきつくなる関係になる。

 

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「ウチ者」と「ヨソ者」

 

なぜ「ウチ者」には優しく、「ヨソ者」にはきつくなってしまうのだろうか?

これまでの話を踏まえればだいたい予想はつくだろう。

 

日本社会は、全体的にみて非常に単一性が強い上に、集団が場によってできているので、枠をつねにはっきりしておかなければ集団成員が自分たちに、つねに他とは違うんだということを強調しなければ他との区別がなくなりやすい。そのために、日本のグループはしらず強い「ウチの者」「ヨソの者」意識を強めることになってしまう、という集団構成の質のあり方が問題であろう。

 

自分の存在している「ウチ」がすべての世界であるという考えによって「ヨソ」には強い反応をしてしまうのだ。

自分が属している集団は、全体の中の一つという考えになれば、「ヨソ」との区別も強くはならなない。

 

日本では社交性は育まれない

「枠」に囚われている日本の集団の中においては社交性を育てる場所がない。

 

すなわち、社交性とは、いろいろ異なる個々人に接した場合、如才なく振舞いうることであるが、一体感を目標としている集団内部にあっては、個人は同じ鋳型にはめられているようなもので、好むと好まざるとにかかわらず接触を余儀なくさせられ、個人は、集団の目的、意図に、よりかなっていれば社会的安定性がえられるのであり、仲間は知りつくしているのであり、社交などというものの機能的存在価値はあまりないのである。

 

「型」にはまることが第一であり、他のことはどうでもいい。

社会人になるということは自分が属する企業の色に染まっていくということだ。

だから働く仲間、理念、雰囲気は大切になってくる。

知らないうちにあなたの常識は塗り替えられ、自分が想像もしていなかった場所に行ってしまうのかもしれない。

きちんと外から見た自分という視点を持ち合わせれていないといけない。

 

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所属する集団は一つだけ

個人が集団の中に入るにはその人のすべてをささげなければならない。

だから日本の中で二つの集団に属するのは難しい。

 

もちろん個人として二つ以上の集団に属しているのが普通であるが、重要なことは、必ずそのいずれか一つ優先的に所属しているものが明確にあり、あとは第二義的な所属で、また、自他ともにそれが明瞭になっているということである。

 

属している集団の優先順位をつけないといけない。

これは知らないうちに日本人には刷り込まれている。

自分はどちらかを優先しているということを示さなければならない

 

二つ以上属していると潔癖性がないとみられてしまう。

「あいつあそこにも属している」というような感じに。

 

これは日本人なら当たり前の反応のような気がする。

だが考えてみるとこれは普通ではないのかもしれない。

 

場によって個人が所属するとなると、現実的に個人は一つの集団にしか所属できないことになる。その場を離れれば、同時に、その集団外に出てしまうわけであり、個人は同時に二つ以上の場に自己をおくことは不可能である。

 

まとめ

日本人は田舎っぺ体質がDNAに取り込まれているんだと感じる。

人間関係は閉鎖的、自分のコミュニティーしか興味がない。

こんな閉鎖的な場所で社会人は生きていかなければならない。

自分が頼れるコミュニティーの数が人生の豊さにつながると誰かが言っていたが、本当にそれはそうなんだと感じる。

日本社会においてはそれはとても必要になる。

コミュニティーを増やすこと、これが必要だ。

 

コクソンを見に行った。 國村準が最高に怖いぞ。

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韓国で大ヒットをした。コクソン。

國村 準が主演し、韓国で第37回青龍映画賞で外国人俳優として初受賞となる男優助演賞と人気スター賞のダブル受賞を果たした作品だ。

とにかく國村 準がかなり怖い。

めちゃくちゃ不気味な存在を演じている。

 

 

あらすじはこんな感じ

平和な田舎の村で連続殺人が発生。しかも殺人を犯した者たちは全員、体がただれ、湿疹ができ、目がにごり、言葉を発さない抜け殻のような状態になってしまう。

事件を追う警察官のジョング(クァク・ドウォン)は、いつしか村のはずれに住むようになった日本人(國村隼)が怪しいと推測する。さらに、ジョングはやさしい娘であるヒョジンの体に殺人者たちと同じ湿疹ができていることに気づき、日本人を追い詰めていくが――

 

 

 

とにかく最後まで謎の残る作品だった。

「見ているものは本当に真実なのか?」というのがキーワードらしい。

 

どいつが悪者なのか最後まで分からなかった。

やっぱ最後まで謎が残る作品はおもしろい。

 

ギャグを所どころ入れながら、恐怖を描く。

最後まで目が離せなかった。

 

幽霊がは出てこないが、よくわからないゾンビみたいな人間が出てくる。

こいつがよくわからない存在だった。

 

最初は絶対に悪者だと思っていながら見ていたが、途中からこいついい奴かもと思いながら見ている自分に気づく。

結局答えでない。

むずむず。

 

最近のホラーは幽霊だとか、ゾンビとか出てくるけどその破綻した世界で人間はどうするのか、

本当に怖いのは人間だ、という感じのが多くておもしろい。

怖いのは人間だという感じになってきている。

ウォーキングデッドもそうだし。

 

人間どうしの中で起きる恐怖が一番怖いのだ。

 

だから人間はおもしろい。

 

國村 準の演技が半端じゃない。天使なのか悪魔なのか絶妙な演技見どころ。

悪魔に変化した時の怖さはホントにえぐい。

 

ぜひ見に行ってほしい。