思想の備忘録

農業のこと、本のこと、思想のことなどなど

仕事を生きがいにするな 泉谷閑示

 

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日本には過労自殺長時間労働、残業、などなど問題がたくさんあります。

海外からは日本では仕事をしたくないと言われています。

バカにもされているでしょう。

もう仕事の意味を考えることをしないといけません。

 

 現代の「仕事」とは「労働」にすり替わっており、皆が奴隷以下の存在に成り下がっています。

ギリシア人は「労働」を軽蔑しており、奴隷がするものだと考えていました。

時代は進み、すべてが豊かになったのに、現代人は奴隷になってしまったのです。

ギリシャの人々は、生きる必要に迫られて「労働」に束縛されてしまうことは、家畜のように動物的なレベルに留まるものだと考えました。よって「労働」は、人間らしい「仕事」や「活動」、ひいては「観照生活」を妨げるものであると考え、「労働」を任せるための奴隷を必要としたと言うのです。

 

奴隷に成り下がってしまった私達の「仕事」を一度しっかりと考える必要があります。

 

 

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人手不足と言われているのになぜ賃金が上がらないのか?

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現在の日本は人材不足と言われています。

若者が少なく、高齢化が進んでいます。

高齢者が多く、働く若者が少ない。

こんな状況になっています。

しかし、給料が上がらない。人手不足なのに上がらない。

なぜなんでしょうか?

 

働き手が少ないのになんで賃金が上がらないのか不思議に思ったことはありませんか?

 

 

大きく理由を3つ上げます。

1.給料は下げにくいから、給料を上げにくい。

2.人材育成ができていない

3.就職氷河期の影響

 

これらの理由でなぜ賃金が上がらないのか説明していきます。

 

 

 

 

 

給料は下がりにくい。

 

給料は下がりにくいんです。それが給料が上がりにくい原因となっています。

これはどうゆうことなのか。

給料が下がりにくいっていいことじゃないか?と思うかもしれませんが、

下がりにくいから給料を上げることが難しい。

 

人間は増える喜びよりも、減ることの方が大きな心理的ダメージを受けます。

これを「損失回避特性」と言います。

増えることよりも減ることの方が人間は嫌がります。

だから一度支給された給料が基準となってしまい、そこから給料が下げられてしまうと大きな抵抗感を感じます。

 

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このような話は経済学では昔から言われています。

有名な経済学者のケインズは給料は下がりにくいことを「貨幣錯覚」と言っています。

 

 

日本では給料を下げる企業は少ない。

 

日本は過去のバブル崩壊、長期不況、リーマンショックなどの大きなショックを受けてきたが日本の企業は給料を下げることは8割の企業で行われていなかったことが分かっています。

給料を下げない企業が多かったのです。

 するとどうなっていったのか。

 

 

給料を下げた企業ほど給料があがる

 

不況期に給料を下げた企業は経営が好調な時は給料が上がっていることが分かっています。

 

過去10年間で所定内給与のカットを実施した企業ほど、所定内給与改定額が大きいほか、利益率の上昇に伴ってより多く所定内給与を引き上げていることが明らかになった

 

日本企業の多くは給料を下げることをしなかったから、賃金を上げることができない原因の一つと言える。

 

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大企業の内部留保はたくさん眠っている

企業にはたくさんの内部留保が眠っているところがたくさんあります。

大企業と言われるところには兆という金額があります。

それは従業員に還元されることは少ないです。

企業が好調でたくさんの利益をもたらすことがあっても、企業側は給料を上げることを怖がってしまうのです。

 

 

人材育成ができない。

給料を上げる一番早い方法は個人のスキルを上げることです。

周りの人間との差別化、専門性を持つことでその人の価値は上がります。

皆が同じ能力をもっていても意味はありません。

 

日本は分厚い中間層を持っていることが大きな特徴でしたが、1990年代低賃金層、中間層、高賃金層とすべてにおいて給料は上がっていましたが、

2000年代になると、中間層は大きく給料は下がってしまった。

高賃金をもらっている(スキルがある)人材だけが給料が上がっています。

 

なぜ中間層が減ったのか?

 

2000年代にアメリカ企業の変化によって日本の人事制度に変化をもたらしたことが一つの理由です。

80年代までのアメリカ企業の働き方は会社の中心となる人材の雇用を保障しながら、長期勤務を促し、内部育成を行っていた。

日本のような終身雇用や年功序列の制度を持っていた。

 

しかし、80年代以降に市場原理が企業に持ち込まれることによって変化が起こった。

企業と従業員の関係が変化し、勤続は短期化し、内部の育成に力を入れなくなった。

 

資本主義の市場が企業に持ち込まれることで短期で結果を出さないといけなく、雇用契約も短期化し、人材は流動化している。

長い目で人材を育成するということは難しくなってしまった。

 

高賃金で働ける人は内部で育成を受けることができる。

企業の為になる人材なら長い間育成を受けることもできる。

そして中間層と高賃金層は格差が広がっている。

 

 

個人のスキルを上げることを考える

 

人材育成がないとなぜ賃金が上がらないのか?

理由は、多くの会社が育成をすることができないから、労働市場に人材が供給されることもないので採用することができないからです。

 

現代は転職がしやすい時代でもあるが、一つの企業で一つのことを特化して学ぶということが大きな価値を生み出します。

 

人材育成をしっかりと注目していろんな所で勉強などをする機会を設けないといけない。長時間労働なんかするのではなくて、自分でなにかを勉強する時間を作らなければならない。

 

 

就職氷河期世代の影響

 

氷河期世代とは

2010年代半ばの時点で、働き盛りの30代後半から40代前半の世代の多くは、彼ら彼女らが新卒採用活動を行っていた時期が長く厳しい不況期と重なっており、いわゆる「就職氷河期世代」と言われている。

 

 

氷河期世代の人達はかなり悲惨な状況になっていている、他の世代に比べて賃金が圧倒的に低くなっている。

時期が少し違うだけで同じ大学卒や高校卒であっても賃金が大きく格差があるのだ。

なぜそのようなことになったのか?

 

1.日本型雇用慣行の崩壊と成果主義等に代表される新しい人事、給与制度の導入時期が、氷河期世代が働き始めた時期に重なった。

2.長引く不況や国際競争の激化に伴う企業側の余力の喪失により、労働分配の低下や賃金カーブのフラット化・昇給の抑制などが生じた時期に就職氷河期が重なった。

3.社内研修など企業内における教育訓練や人材育成を行う余力も失われた時期に、就労初期の仕事うぃ覚える時期が重なって、氷河期世代は十分な職業能力の蓄積ができなかった。

4.大量採用をしたバブル期就職世代(40代後半から50代前半)の人口が多く、氷河期世代は昇進、昇給の面で不利益をうけた

5.バブル期就職世代と比べて、氷河期世代では、規模の小さい企業に就職したり、転職が一般かしたりしたことで勤続年数が短くなった。

 

 

このような理由で氷河期世代は賃金が上がることが難しくなった。

上の世代と少し時期が違うだけでかなりのダメージを受けてしまっている。

 

 

就職氷河期世代の労働者の割合が一番多い。

 

2015年時点で30代後半から40代前半にさしかかっているのが「氷河期世代」である。

この労働者数の割合は27.3%を占めていて、どの年齢の階層よりも多い。

不利益を受けている「氷河期世代」が今一番多く働いていることが賃金が上がらない理由の一つなのだ。

 

就職氷河期世代の賃金が上の世代に比べて低下していることは、全労働者の賃金の押し下げ要因として一定のインパクトを与えていると推測できる。つまり、人口サイズの大きい就職氷河期世代の賃金が低く抑えられていることは「人手不足なのになぜ賃金が上がらいのか」という疑問に対する一つの回答になっていると考えられる。

 

大きな変化の時にどうする

日本は働き方などで大きな変化をしなければいけない時期に差し掛かっていると言える。

これからの労働人口は少なくなる。団塊の世代がごっそり抜け、高齢化を迎え、働ける若者は少なくなる。大きな負担を若者は背負うことになるだろう。

 

今のように長時間労働、効率的な働き方ができない、スキルが見に付かない状況では日本の未来は暗いだろう。

世界に置いていかれている日本はこれからもどんどん離されていくのだろうか。

きちんと考えないといけない時期に差し掛かっている。

 

 引用

 

コンテンツの未来が分かる。人生の勝算(前田裕二)

今人気の本「人生の勝算」。帯にはホリエモン秋元康からのコメントが書いてある。

この人は一度abemaに出ている所をみたが見た目はチャラくてなんだこの人と思っていたが、showroomを作った人で、かなりすごい人だ。

今回この本を読んでかなりおもしろかった。変な自己啓発本などを読むよりこの一冊を読んで欲しい。ビジネスマンの人、学生にはとてもおすすめできる。

これからのコンテンツとは、ビジネスとは、新たな仕組みを作り上げた人だからこそ伝わるものがある。

 

なぜスナックはつぶれないのか?

 

この話はとてもおもしろい。

様々な店が消えて行くなかで、スナックはつぶれないと言っています。

それはなぜか。

モノを消費するのではなくて、ヒトを消費しているからです。

スナックのママがいて、その人に会いたいが為に行く、常連さんと会いに行く為に行く。だから、お酒や食べ物などが目的ではなくヒトが目的になっている。

例えば、いつも行くスナックがお金に困っていたらどうするだろうか。

「今月はたくさん店に顔を出してやるか」という風になるだろう。

 

スナックがなぜ最後までつぶれないのかという議論がありますが、これには大きく二つの背景があります。第一に、人がスナックにお金を払う背景には「ヒト」が深く関わっていること。第二に、「モノ」ではなく「ヒト」が消費理由になる場合、そこには「絆」という対価が生じているので、ちょっとやそっとではその価値が消滅しにくい

これからの未来のコンテンツ、ビジネスにはコミュニティ形成が外せない要素になります。

コミュニティという「絆」の集合体を作ることを考えないといけません。

 

 

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現代人は「自分の物語」を消費している

 

今様々なアーティストが世の中には存在しています。

でもその中で活躍できるはほんの一握りだけです。

しかし、SHOWROOMでは地下アイドルと言われるアイドルの中でもかなり下に位置ずけられる人でも月数千万という売り上げをあげる人がいます。

どんなに歌がヘタでも、ルックスが悪くても、人気になることができるのか。

完璧ではないという所が大きな価値を持っているのです。

 

現代人の多くは、「自分の物語」を消費していて、何か完ペキな「他人の物語」を消費することには、飽き飽きしているのです。SNSに写真をあげて、いいねをもらってうれしい、という気持ちも、まさに「自分の物語消費」の典型例です。

 完成されていない余白があり、ファンは自分が応援しなきゃという気持ちになってしまうのです。

これはあのAKBグループに当てはまるでしょう。

秋元康はこの余白をうまく使うことで最強のアイドルグループを作りあげたのです。

 

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これからのコンテンツとは?

 

現代のコンテンツという意味付けも変わってきています。

ただ歌が上手い、絵が上手い、そのような要素だけでは勝つことが難しくなってきています。

「クオリティ」の定義が変わってきているのです。観客をコンテンツに考えることが必要になる。

 

最初に誰かがやり始めて、また他の誰かが真似をして広がっていく、というものです。

ユーザー側から遊びやルールが勝手に生まれる。その現象自体が1つのコンテンツとして価値を持つ。

 これからのエンターテイナー、クリエイターはこの観客をコンテンツとして作られるものが主流になっていくだろう。

自分が作ったものが観客が自由に楽しめることが必要になる。

 

 

 

まとめ

前田さんはSNSの次に来るのはライブ配信だと言っています。

ライブ配信を使って様々なモノがこれから作りだされていくと思います。

「正当な努力をしている人を救う」という考えがとてもささった。

まだ日陰にいる人もいつかは日の目を浴びれるようにする。

その仕組みがSHOWROOMにはある。

ぜひみなさんも一読してみてください。

 

 

休むことは動かないことではない。

 

現代の中で休息はとても大切になってきています。

情報化が進む中で、一日中スマホに目を向け、パソコンに向かい続けている現代人の休息はしっかり考えなければ体が壊れてしまいます。

 

実は寝るだけでは体は整うことはありません。

長い時間寝るというのも間違っています。

睡眠時間は7時間が人間にとってちょうどいいんです。

寝すぎると糖尿病のリスクが上がることもあります。

 

 

日本人はずっと働いていると海外の人から見ても言われています。

しかし、こう考えてみてもいいかもしれません。

「不器用な欧米人は一か月バカンスをとらないと休めない。でも器用な私たちは、忙しい一日の中に上手に休息を持てるはず。」

忙しい毎日の中で休むということを意識することで日々のパフォーマンスは変わっていきます。

 

休むことは動かないことではない。

 

多くの人が休むということを「寝ること」、「動かないこと」、「座ること」だ考えています。

しかしこれは間違っています。

 

一日の終わりに家に帰ると意識もせずに、テレビをつけ、ソファーに座ることをしてしまいます。座ると体が休むと考えてしまいますが、すぐに座ってしまうと体の血流が悪くなってしまいます。そして、「あれ、俺めちゃ疲れてるな」とさらに疲れがたまってしまうことになります。

「動かないことが休息なのではない」ということなのです。

 

寝ていてもいろんなことを考えていて、ストレスを抱えていても体は休むことがありません。

 

過剰なストレスがかかると、自律神経がしっかり機能しなくなり、さまざまな不調をきたします。

休むということを考えるときには、毎日の生活の中にいかにこの「ケロリ」を作りだすかが大事になってくるのです。

 

現代人の生活の中にはすぐに周りからいろんな情報が入り込みストレスを感じてしまうことが多いです。だからこそ、なにも考えない、しょーもないことをするということがかなり大切になります。なにもないということがとても重要で、それが休みに繋がるのです。

 

時間の考えを変える

アメリカの詩人カール・サンドバーグはこんなことを言っています。

 

「時間はあなたの人生の貨幣である。あなたが所有する唯一の貨幣であり、それをどう使うかを決められるのはあなただけだ。あなたの代わりに他人に使わせないように気をつけなければいけない」

 

時間はとても大切なもので、これを日々意識していないと自分の人生ではなく、人の人生になってしまいます。

 

休息ということも仕事が終わってするのではなく、仕事が始まる前に朝早く起きて自分んの好きなことをすると考えてもいいのかもしれません。

休息は「働いた後にとるもの」と思われますが、それでは充実した休息がとれません。

たまには早く寝て、早く起きて朝の静かな充実した時間を過ごすのもいいのかもしれません。

 

まとめ

休息は寝る以外にもいろんなところでできます。

現代人はいろんなストレスが襲ってきます。

なにもしない、意味がないこと、何も考えないということがこれまで以上に必要になってくると思います。

ストレスと上手く付き合っていきましょう。

 

自律神経が整えば休まなくても絶好調 (ベスト新書)

 

ユートピアを達成した現代になにが起こっているのか。

現代は中世の人びとが目指したユートピアにたどり着いていると言えます。

しかしどうでしょうか。幸福な世界が訪れているでしょうか。

格差はどんどん広がり、貧困に陥る人は増えています。経済の中間層もこれからは消え、ますますひどくなる言われています。

なぜ物が溢れ、生産性が良くなっているのに、人類には幸せが訪れておらず、問題ばかりなのでしょう。

 

 

産業革命以降の2世紀で、長く停滞していた世界経済は250倍、一人当たりの実質所得は10倍に増えており、60億人が携帯を持ち、寿命は100年も伸びています。(1)

 

 

世界が望んだ世界が来たが、幸せではない。

人間の進歩は一種の神話に過ぎないと誰かは言いましたが、

人間にとって前進することだけが正解ではないということでしょう。

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豊穣の地は資本主義だけでは成し遂げることはできない。

 

資本主義によって全世界がいひとつになり、様々なものが生み出され21世紀はとても豊かな世界になることができました。

しかし、資本主義という制度が疲弊してきており、それだけでは豊かになれないということに気づき始めています。

 

 

現在の先進工業国では、国の富のうち58%しか、給与として労働者に支払われてい居ません。なぜこのような事態になってしまったのか、それは仕事が機械に変わられ、限られた富裕層が圧倒的にお金を儲けているからです。(2)

 

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 若者のうつ病はこれからどんどん増えていく。

 

なぜうつ病が増えるのだろうか。

それは若者の未来が良くなるとは思えないからです。

先が不安だと心も病んでしまいます。

 

心の病気はどんどん少なくなり、精神医はいらなくなると言われていましたが、

WHOによると、現在、うつ病は10代の若者の最大の健康問題となっており、2030年には世界の病気の第一位になると言います。(3)

 

日本は平和でだれもが憧れる国と思われているが、先進国の中で自殺で命を絶つ人が多くいます。もうお金だけの面を見て対応するのを改める必要があります。

心と体を一番に考えないといけません。

目に見えることだけを求めていてはいけません。目に見えない部分も大切にしなければなりません。

 

「国民総生産(GNP)はあらゆるものを測定する。人生を価値あるものにするものにするものを除けば」とロバートケネディは言っています。 (4)

 

 

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 貧困は「人格の欠乏である」

 

貧困がなぜ悪なのか。それはお金がないからダメというわけではありません。

貧困は人間の判断を鈍らせるから悪なのです。

 

経済学者ジョセフ・ハンロンは言っています。「貧困とは、基本的に現金がないことだ。愚かだから貧困になったわけではない、靴をはいて立ち上がろうとしても、そもそも靴がなければ話にならない。」

イギリスの元首相マーガレットサッチャーはかつて貧困を「人格の欠落」と呼んだ。
「欠乏は人間を消耗させる、他にも等しく重要なことがあるのに、そちらに気持ちを向けられなくなる」(5)

 

 

AIが支配する世界にはベーシックインカムが必要になる

 

人口知能に関する本などを読んでみるとほとんどの人がベーシックインカムが必要になると言っています。

AIによって人間は仕事を奪われてしまいます。

だからほとんどの人は働きたくても働けない状況になってしまいます。

本当に一握りの何かに特化したプロフェッショナルしか生き残ることができなくなります。

そのような状況になると一般人はお金を稼ぐことができなくなります。

 

お金を配ると人間は怠惰になり、おかしくなってしまうと思われますが、

そんな心配は無用です。

 現金を無償で配るという実験で良い結果が表れているのです。

 

西ケニアの貧しい地域。その村の住人に500ポンドお金が配られた。
数か月後訪れてみると、お金がたくさん村には積まれていた。
しかしそれで誰も酒を買おうとはしなかったそのかわり、家は修繕され、小規模のビジネスが始まっていた。
2008年ウガンダ政府は、18歳から35歳の1万2000人におよそ、400ドルを与えることを決定した。すべては自由に使ってもいい。求められるのはビジネス計画を出すことだった。5年後、効果は脅威的だった。人々はそのお金を自らの教育やビジネスに投資し、結果として収入がおよそ50%増えた。雇用率も、60%超増えていた。(6)
 
お金があるということで目的が生まれ、選択肢が生まれるのです。
お金によって人は冷静に判断することができ、未来に使うことが多いということが分かっているのです。
 
 

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本当のユートピアは現れるのか?

 

哲学者バートランド・ラッセルはこう言っています。

「人間が幸せでいるためには、あれやこれやの楽しみばかりではなく、希望や冒険心や変化が必要だ、求めるべきは、完成したユートピアではなく、想像と希望が生きて動いている世界である」 (7)

 

人間が数字だけで考えた未来はうまくはいかないということではないでしょうか。

目に見えないことを大切にすることが大切になります。

数字のことなんて機械に任せて、人間は遊び、創造し、実験し、冒険をすることがこれからはますます必要になるでしょう。

 

 

 

 

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働

 

本書引用

(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、

 

 

 

 

 

暇と退屈の倫理学を読んで。

ラッセルはこう言っている。

「近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。」

これはどういう意味だろうか。

人類の歴史は血と涙の歴史だと言ってもいい。たくさんの犠牲を出し現代の平和が作られた。しかしどうだろうか。人類が目指して来た平和にたどり着いたにもかかわらずどこか幸せを感じられない。

 

そして21世紀は今までの世界の中で一番平和な時代と言えるだろう。しかしここに逆説がある。
それは人々が目指して来た豊かさが達成されると不幸が訪れる。

それはなぜか。達成されることで退屈な暇な世界が現れるのだ。

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退屈には3つ種類がある。

 

1.何かによって退屈させられること 受動的な退屈

2.何かに際して退屈すること 自分が退屈してしまう

3.なんとなく退屈

 

 

1.おもしろそうだと思った映画が退屈、仕事が退屈などなにかに退屈にさせられている状態のことを言う。

 

2.この退屈の状態はなにかに退屈させられているのではく、よくわからないのだがそこで自分が退屈してしまう。

 

3.このなんとなく退屈はどうしようもない。

この声を聞いてしまうとなにをしても太刀打ちすることはできない。

 

この3種類が存在している。

人間にとって一番やっかいなのが「なんとなく退屈だ」という声を聞いてしまうことが堪えられない。

退屈を紛らわそうと何かしようとしてもあまり効果がない。

これは時間が過ぎるのを待つしかないのかもしれない。

 

しかし、安心してほしい。退屈だと感じれることが正しくい生きれているということだ。

退屈があるということは自由があるということだ。自由があるということは決断できる余地がるということだ。

 

 

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人間にとって退屈とはどうゆうことだろう

 

人間だけに暇や退屈は存在している。動物はそのような感情はない。

人間の想像力という力によっていろいろな世界を感じ取ってしまう。

だが動物にはそんな力はない。

だから暇と退屈は人間にしかないものだ。

 

ハイデッガーは言っている。

「結局ある種の深い退屈が現存在の深淵において物言わぬ霧のように去来している」

 

退屈は人間に備え付けられているのだ。生きるということは退屈と上手く付き合うことが大切になる。

退屈があるということは正しい生き方である。退屈だからどうしたということだ。

退屈と暇に付け込んでくるのが文化産業である。

資本主義はかつては労働者を搾取していたが、今では労働者の休日を搾取している。

メディアやテレビなどが人々を煽り立て動かしている。自分の欲望ではなく、欲望を作り込むことが多くなっている。

自分からではなく、受動的な消費者になってしまう人を大量に作っている。

 

日本は終わっていると言われているが、長時間労働で搾取され、休日も文化産業に搾取される。ひどい状況になっているんだと思う。ほとんどが受け身だからどんどん身を削られていくことしかない。回復する時間さえもなにかに搾取されているのだから。

 

 

まとめ

誰でも体験したことのある退屈。これはなにも悪いということではない。

退屈するのが嫌だから人々はなにかの奴隷になりたがる。それは仕事であり、趣味であり、遊びである。でもそこにはなにかの退屈感が付きまとう。

人間は逃れることはできないのだ。

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

 

 

 

ルターは新しい宗教を作ろうとしたのだろうか。

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ルターという人物を知っているだろうか?

だれでも一度は耳にしたことがあるだろう。

 

日本の歴史の教科書にはルターがプロテスタントを生み出し、キリスト教を二分化したという説明が書かれている。

 

しかし、ルターは新しい宗教を作りだそうとしたわけではない。

この事実を知っている人は少ないだろう。

ではルターはなぜプロテスタントを生み出したのだろうか?

なにをしようとしたのか?

これを見ていきたい。

 

ルターは宗教改革がこんなにも広がるなんて考えてもいなかった。

 

ある書簡でルターはこのように書いている。

「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことではなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれを取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。

ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。

ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。

もしこれが、ここまで公になることがわかっていたなら、別な方法を選択するとか、もっと正確に書くとか、余計なことは書かなければよかったのです。」

 

キリスト教の改革を目指していたルターだがなぜか大きく広がった宗教の改革を喜んでいないように見える。

なぜこのように喜んでいないのだろうか。

 

それはルターは制度的に疲弊していたキリスト教を立て直す為に宗教改革をするのが一番の狙いだったからだ。

土台を根本的に変えるのではく、土台や大黒柱は残して、修繕が必要な所だけを新しくしようとしたのだ。

 

その当時、キリスト教は天国に行くためには教会を通じて、天国に行くためのチケットを買わなければいけなった。しかも聖書はラテン語で書かれており、一般市民は読むこともできなかった。

だから、ラテン語が読める上層の人間から天国に行くために必要な情報を受け取るしかなく、教会の言いなりにならなければいけなかった。

 

この制度におかしいと唱えたのがルターで、天国に行くのに必要なのは聖書に書いてあることを信じることだけで、天国のチケットを買わなければいけないのはおかしいと考えた。

 

ルターは、神が人間を救うという行為を人間はただ受け取るのであり、神がなすことを信頼するのが信仰だと考えたのである。それゆえ救われるためには人間の側の努力ではなく、「信仰のみ」が必要になるのだ。

 

印刷技術が発達するという偶然。

歴史が動くときは偶然という要素が大きく関わっている。

ルターが宗教改革を始める時代に偶然にも印刷技術が発達した。

それによってルターが教会に送った手紙がすぐさま一般市民にも広がった。

聖書もドイツ語に翻訳されることで一般市民も読めることになった。

この偶然が重なり大きく宗教改革は動くようになったのだ。

人間の歴史というのは偶然の力が大きい。

人間が作る歴史ではなく、なにか違う力が加わって作られるのかもしれない。

キリスト教を修繕しようという働きが、違う方向へと導かれていった。

 

プロテスタントとはなにか

 

プロテスタントには2つの動きがある。

1つは誠実なキリスト教を目指し、戦い、しっかりとした地位を勝ち取るという集団。

これは改革を経て自分たちが主流になることでそのポジションに座る。改革を目指していた集団が、改革に対して守りに入る。

 

2つ目はより新たなキリスト教を目指し、従来の改革に不満を持ち、改革をさらに推し進める集団。

 

自分たちが目指していた所にたどり着き、安定したポジションを勝ち取っても改革は終わりがない。

新しい集団が「君たちはおかしい、もっと変えなければならないと」言い出す人が出てきてさらに改革は進められる。

改革には終わりがないという事なのだろう。

 

宗教改革」は二つのプロテスタントを生み出した。

一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズムである。もう一つはそのような宗教改革の教会の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズムである。

 

プロテスタントは初めは改革の意味が強かったが、次第に保守的な意味に変わっていった。自分たちの伝統を守るために保守的になっていた。

 

新しい改革を目指し、ある程度改革が成功し、安定したポジションを手に入れることで、守りに入ってしまう。

新しいものを生み出し、そこで守りに入るとまた新たな動きが他に生まれる。

ルターは自分が考えてもいなかった方向へと導いた、彼は今のキリスト教を見てなにを思うのだろうか。

 

引用