思想の備忘録

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ルターは新しい宗教を作ろうとしたのだろうか。

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ルターという人物を知っているだろうか?

だれでも一度は耳にしたことがあるだろう。

 

日本の歴史の教科書にはルターがプロテスタントを生み出し、キリスト教を二分化したという説明が書かれている。

 

しかし、ルターは新しい宗教を作りだそうとしたわけではない。

この事実を知っている人は少ないだろう。

ではルターはなぜプロテスタントを生み出したのだろうか?

なにをしようとしたのか?

これを見ていきたい。

 

ルターは宗教改革がこんなにも広がるなんて考えてもいなかった。

 

ある書簡でルターはこのように書いている。

「広く読まれていることは、私が望んだことではありません。また私はそのようなことを意図したことではなかったのです。私はただこの町の人々とまたせいぜい近くの学者たちと議論し、その意見によってこれを取り下げるか、あるいはみなに認めてもらうかを判断しようと考えたのです。

ところがこれが何度も印刷され、翻訳もされているのです。

ですから私はこれを公にしたことを今後悔しています。

もしこれが、ここまで公になることがわかっていたなら、別な方法を選択するとか、もっと正確に書くとか、余計なことは書かなければよかったのです。」

 

キリスト教の改革を目指していたルターだがなぜか大きく広がった宗教の改革を喜んでいないように見える。

なぜこのように喜んでいないのだろうか。

 

それはルターは制度的に疲弊していたキリスト教を立て直す為に宗教改革をするのが一番の狙いだったからだ。

土台を根本的に変えるのではく、土台や大黒柱は残して、修繕が必要な所だけを新しくしようとしたのだ。

 

その当時、キリスト教は天国に行くためには教会を通じて、天国に行くためのチケットを買わなければいけなった。しかも聖書はラテン語で書かれており、一般市民は読むこともできなかった。

だから、ラテン語が読める上層の人間から天国に行くために必要な情報を受け取るしかなく、教会の言いなりにならなければいけなかった。

 

この制度におかしいと唱えたのがルターで、天国に行くのに必要なのは聖書に書いてあることを信じることだけで、天国のチケットを買わなければいけないのはおかしいと考えた。

 

ルターは、神が人間を救うという行為を人間はただ受け取るのであり、神がなすことを信頼するのが信仰だと考えたのである。それゆえ救われるためには人間の側の努力ではなく、「信仰のみ」が必要になるのだ。

 

印刷技術が発達するという偶然。

歴史が動くときは偶然という要素が大きく関わっている。

ルターが宗教改革を始める時代に偶然にも印刷技術が発達した。

それによってルターが教会に送った手紙がすぐさま一般市民にも広がった。

聖書もドイツ語に翻訳されることで一般市民も読めることになった。

この偶然が重なり大きく宗教改革は動くようになったのだ。

人間の歴史というのは偶然の力が大きい。

人間が作る歴史ではなく、なにか違う力が加わって作られるのかもしれない。

キリスト教を修繕しようという働きが、違う方向へと導かれていった。

 

プロテスタントとはなにか

 

プロテスタントには2つの動きがある。

1つは誠実なキリスト教を目指し、戦い、しっかりとした地位を勝ち取るという集団。

これは改革を経て自分たちが主流になることでそのポジションに座る。改革を目指していた集団が、改革に対して守りに入る。

 

2つ目はより新たなキリスト教を目指し、従来の改革に不満を持ち、改革をさらに推し進める集団。

 

自分たちが目指していた所にたどり着き、安定したポジションを勝ち取っても改革は終わりがない。

新しい集団が「君たちはおかしい、もっと変えなければならないと」言い出す人が出てきてさらに改革は進められる。

改革には終わりがないという事なのだろう。

 

宗教改革」は二つのプロテスタントを生み出した。

一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズムである。もう一つはそのような宗教改革の教会の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンティズムである。

 

プロテスタントは初めは改革の意味が強かったが、次第に保守的な意味に変わっていった。自分たちの伝統を守るために保守的になっていた。

 

新しい改革を目指し、ある程度改革が成功し、安定したポジションを手に入れることで、守りに入ってしまう。

新しいものを生み出し、そこで守りに入るとまた新たな動きが他に生まれる。

ルターは自分が考えてもいなかった方向へと導いた、彼は今のキリスト教を見てなにを思うのだろうか。

 

引用