映画と本の感想をつづる。

映画と本の感想をつらつら書き留めていきます。

暇と退屈の倫理学を読んで。

ラッセルはこう言っている。

「近代社会が実現した生活には何かぼんやりとした不幸の空気が漂っている。」

これはどういう意味だろうか。

人類の歴史は血と涙の歴史だと言ってもいい。たくさんの犠牲を出し現代の平和が作られた。しかしどうだろうか。人類が目指して来た平和にたどり着いたにもかかわらずどこか幸せを感じられない。

 

そして21世紀は今までの世界の中で一番平和な時代と言えるだろう。しかしここに逆説がある。
それは人々が目指して来た豊かさが達成されると不幸が訪れる。

それはなぜか。達成されることで退屈な暇な世界が現れるのだ。

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退屈には3つ種類がある。

 

1.何かによって退屈させられること 受動的な退屈

2.何かに際して退屈すること 自分が退屈してしまう

3.なんとなく退屈

 

 

1.おもしろそうだと思った映画が退屈、仕事が退屈などなにかに退屈にさせられている状態のことを言う。

 

2.この退屈の状態はなにかに退屈させられているのではく、よくわからないのだがそこで自分が退屈してしまう。

 

3.このなんとなく退屈はどうしようもない。

この声を聞いてしまうとなにをしても太刀打ちすることはできない。

 

この3種類が存在している。

人間にとって一番やっかいなのが「なんとなく退屈だ」という声を聞いてしまうことが堪えられない。

退屈を紛らわそうと何かしようとしてもあまり効果がない。

これは時間が過ぎるのを待つしかないのかもしれない。

 

しかし、安心してほしい。退屈だと感じれることが正しくい生きれているということだ。

退屈があるということは自由があるということだ。自由があるということは決断できる余地がるということだ。

 

 

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人間にとって退屈とはどうゆうことだろう

 

人間だけに暇や退屈は存在している。動物はそのような感情はない。

人間の想像力という力によっていろいろな世界を感じ取ってしまう。

だが動物にはそんな力はない。

だから暇と退屈は人間にしかないものだ。

 

ハイデッガーは言っている。

「結局ある種の深い退屈が現存在の深淵において物言わぬ霧のように去来している」

 

退屈は人間に備え付けられているのだ。生きるということは退屈と上手く付き合うことが大切になる。

退屈があるということは正しい生き方である。退屈だからどうしたということだ。

退屈と暇に付け込んでくるのが文化産業である。

資本主義はかつては労働者を搾取していたが、今では労働者の休日を搾取している。

メディアやテレビなどが人々を煽り立て動かしている。自分の欲望ではなく、欲望を作り込むことが多くなっている。

自分からではなく、受動的な消費者になってしまう人を大量に作っている。

 

日本は終わっていると言われているが、長時間労働で搾取され、休日も文化産業に搾取される。ひどい状況になっているんだと思う。ほとんどが受け身だからどんどん身を削られていくことしかない。回復する時間さえもなにかに搾取されているのだから。

 

 

まとめ

誰でも体験したことのある退屈。これはなにも悪いということではない。

退屈するのが嫌だから人々はなにかの奴隷になりたがる。それは仕事であり、趣味であり、遊びである。でもそこにはなにかの退屈感が付きまとう。

人間は逃れることはできないのだ。

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)